大阪府柏原市にある高井田横穴公園は、6世紀中ごろから7世紀前半にかけて築造された高井田横穴群を史跡公園として整備し、平成4年 (1992年) 5月に開園された。 現在までに確認されている横穴は162基。 そのうちの27基から線刻壁画が発見されている。 しかし…
高井田横穴群の存在をはじめて知ったときの、あの高揚した気持ちを、言葉で表現することはむずかしい。 高井田山は標高わずか65メートル。その丘と呼びたくなるような小さな山に、6世紀中ごろから掘られ始めた横穴墓が、いまもたくさん残っているという。 …
大阪府千早赤阪村の不本見神社 (ふもとみじんじゃ) 周辺には不思議な話が伝わる。 むかし、子供たちが不本見山で相撲をとっていたところ、樹々のうえのほうから「ヤーホ、ヤーホ」と声がした。見上げるが誰もいない。ただ風が吹くばかり。そしてどこからか笑…
奈良県のほぼ中央に位置する高取町を象徴するものとはなにだろう。 「くすりの町 高取」 日本書紀・推古天皇の段にみられるように、古くからこのあたりでは薬猟 (くすりがり・鹿の角や薬草を集めること) がおこなわれていた。土佐街道 (飛鳥時代に土佐高知か…
7月の京都は、祇園祭一色になる。 連日のように祭りの様子が話題になり、なかでもその前祭 (さきまつり) 後祭 (あとまつり) のクライマックスとも目される山鉾巡行の当日は、多くのヒトたちがまちに繰り出し、浴衣姿の人波がゆっくりと押し寄せるなか、市街…
失われた古代祭祀の全容を知ることは容易ではない。 周知のように銅鐸などはなんらかの祭祀につかわれていたのでは、と考えられているが、それについての詳細な記述は、記紀のような古典においても見ることができない。ただ土の中に埋められて、語られること…
関西地方に住まうものにはとくによく知られているように、信太の森 (しのだのもり) は大阪府和泉市にひろがる、古来よりいまに至るまでつづく悠久の森だ。 「森は信太の森」と清少納言が枕草子において称えたそこにも、しかし近年においては開発の波が押し寄…
京都の晴明神社というと、なにやら魑魅魍魎の跋扈するといったイメージを抱くヒトもおられるのだろうか。曰く、陰陽師、安倍晴明公、式神…。 しかし、それらは人気の歌舞伎や映画などの創作の世界にに引きずられたものだ。 実際の晴明神社の坐すのは、京都御…
平安時代の陰陽師 (おんみょうじ)、天文博士、 安倍晴明公の人気は、現代にいたり世上ますます高まっているように思われる。幾たびも小説や映画に取り上げられ、先日 (2023・4・2~2023・4・27) も、東京銀座の歌舞伎座において、市川猿之助、脚本・演出の『…
相撲の起源はいつどこに求めればよいのだろう。 向きあった力士どうしが呼吸を合わせ、両手を土俵につけるや、立ち合いの一瞬、バシンッ、と凄まじい音を立ててぶつかりあう二つの巨きなからだ。隆起する二の腕の筋肉、四つの足が土俵にめり込まんばかりにな…
我が国最古の天覧相撲の記録は、日本書紀によると、第11代垂仁天皇の御前での大和の當麻蹶速 (たいまのけはや) と出雲の野見宿禰 (のみのすくね) のとりくみとなる。 もっともこの時代の捔力 (すまひ)、現代の角力 (すもう) とは少々異なっている。 なにしろ…
先月のこと。 二月といえば寒気もさかりで、わたしなど、ついつい猫背になってポケットに手をいれて、うつむき加減で過ごしがちだった。 そんななかにあって、うれしいのは日照時間が日に日にながくなってきているのを実感できることだ。日没時間が遅くなっ…
古事記にあって、もっともよく知られひろく親しまれているのは、因幡の白兎 (稲葉之素菟) のくだりに違いない。 淤岐島から今まさに気多の前に渡り終えようとしたときに、兎は鰐を怒らせてしまい毛皮を剝がれてしまう。そこに八上比賣 (八神姫) に求婚するた…
天誅組の変に対する世間の評価は、令和のいまとなっても定まっているとは言い難い。 おなじ江戸時代の大塩平八郎の乱などには、われわれは散りゆく美学のようなものをそこに見る。 しかし40日にわたって大和国を転戦した天誅組にたいしては、そのような視線…
JR香芝駅に列車がはいっていく。 踏切のバーがあがり、わたしは瓦屋根のちいさな駅舎のほうに歩みをすすめた。 やれやれ、こんな風に時間を潰すことになるとは。 今日が4回目のワクチン接種だった。 いったいいつまで続くのだろう、という徒労感にもまして、…
東寺のアオサギ、と聞いてピンとくるヒトが世間にいくらもいるとは思えない。 しかしわたしのまわりには「ああ、あいつね」と言って目じりをさげるヒトが何人もいる。そのことはちょっとした驚きだった。「へえ、おまえも気になってたんだ」 こうして自宅に…
山あいの、片側一車線の曲がりくねった国道を東に向かってはしっていた。並走するように流れている清流・板井原川の川面が、ときおりきらきらとひかっていた。 さきほど、突然山中にあらわれた巨大な緑色の鬼の像のことを思い返していた。それはまるでニュー…
いまも古都の面影を色濃くのこす奈良市内にたいして、ずっと南の御所市までくだってくると、山々に囲まれた土地のあちらこちらに、唐突に緑濃い小山があらわれて、あれは古墳なのだろうか、それとも鎮守の杜かしら、などと想像を巡らせるとココロが踊る。 グ…
となりのトトロが好きだ。 メイとサツキはお父さんに連れられて田舎の一軒家に引っ越してくる。そこには「まっくろくろすけ」というまりものようなススのお化けが住みついていて、空き家を好むかれらは一家がやってくると、その夜、次の居場所をもとめて空へ…
よく晴れた日だった。 道路の見通しはよく、行き交うクルマもすくなかったが、けっしてとばしたりはしなかった。 速度を50キロにあわせることに集中する。スピードメーターとにらめっこだ。 突然、路面からの細かな突き上げを感じ、大きな音が響きわたる。雪…
路面電車が大好きなのは、おそらくその開放的な様子に惹かれるからだと思う。 二両編成の列車がコトコトとはしる…。地下にもぐったり、高架のうえを猛スピードで行き過ぎることはなく、いつもわたしたちとおなじ目線で街なかをめぐる。さらに駅舎にいたって…
「護国神社ってのは年々参拝者が減少しているんだろうねえ。なにしろ戦争遺族の数はどんどん少なくなっているわけだからさ」 新なにわ筋と住之江通がまじわる住之江公園前交差点にかかる、少々古ぼけた歩道橋のうえで旧友は言った。むかしの職場の同僚だ。こ…
敏達天皇はその在位中、まさに難問山積だった。 外にあっては任那再興をはかるがおもうにまかせず、国内では崇仏・廃仏の争いが大きくなっていった。 585年、崩御のあと、母、石姫皇女の墓であるこの磯長 (科長・しなが) の陵に追葬された。 生前、物部守屋…
笠置山登山道の急な坂道をクルマはのぼっていった…。 ここをはじめて訪れたのは17歳のときだった。そのときは歩いてここをのぼっていったのだ。もし、いまおなじことをしたなら、さぞや苦行と感じることだろう。 当時のわたしは、JR奈良駅 (あるいは当時はま…
水占い、というものが全国あちこちの神社仏閣に存在する。 試されたかたもおられよう。 授与所で拝受した用紙を境内の池や沢に浮かべる。あるいは流れ落ちる清水をかける。 するとそこに神託の文字が浮かびあがってくる。 おみくじの一種ともいえるわけだが…
月が替わり八月になった。 夏も盛りというわけで、この暑さも当然なのかもしれない。 しかし、夕方4時すぎ、クルマの車外温度計が36度をしめしているのは、いくらなんでもやりすぎだと感じていた。 我慢の限界をこえていた…。 運転中ずっと理不尽だ、無茶…
あるとき、雄略天皇が葛城山に多くのお供の官人を従えて登られていたところ、向こうの尾根を行くヒトたちがいた。それが天皇の行列と人数も装束もまことに似通っていた。 天皇はお尋ねになられた。 「この国に、わたしのほかに王はいない。あなたは誰か」 す…
香久山、耳成山、畝傍山…。大和三山の中でも、古よりしばしば「天の」と尊称を冠して呼びあらわされ、一等神聖視されてきたのが香久山だ。 天照大御神の天岩屋戸神話、神武東征のさい香久山の埴土 (はにつち) で祭器をつくり、天神地祇 (あまつかみくにつか…
昨日7月8日、午前11時半ごろ、奈良市の近鉄西大寺駅前で、安倍晋三元首相が銃撃された。心肺停止状態で奈良県立医科大学附属病院に搬送されたが、同日午後5時3分、死亡が確認された。 想像だにできない蛮行だ。 各党は直ちに声明を発表した。 いわく……、 「…
子供のころの七夕の記憶といっても、なにやら願い事を書いた短冊を笹竹に結びつけたかな、といった非常にぼんやりとしたものでしかない。 五節句のひとつとはいえ、大人になってからはすっかり意識のすみに追いやられて、織姫と彦星の名前を口にすることもな…