【京都市南区】東寺 (教王護国寺) のアオサギ、真言密教の教えを体現するもの

東寺のアオサギ、と聞いてピンとくるヒトが世間にいくらもいるとは思えない。

しかしわたしのまわりには「ああ、あいつね」と言って目じりをさげるヒトが何人もいる。そのことはちょっとした驚きだった。「へえ、おまえも気になってたんだ」

こうして自宅にいるいまでも、あの白く大きな鳥、細く長い脚で微動だにせず、黒いショールを肩に羽織ったような優美なたたずまいをみせるあの鳥に会いたい。

 

東寺のアオサギ

平安のむかし、京の入り口に建てられた巨大な羅城門を過ぎてすぐのところ、ちょうど左右対称に、東寺・西寺という二つの官寺が建てられた。

西寺のほうは官寺のまま時を経るなかで衰微し、廃寺となったのにたいして、建立後、嵯峨天皇によって空海 (弘法大師) に下賜された東寺は、真言密教の根本道場として、また弘法大師信仰の寺院としてひろく信仰をあつめ、現在でも多くのヒトに親しまれている。

いまも南大門横の茶色く変色した歴史を感じさせる石の碑に『根本道場 真言宗総本山 東寺』と彫られている。若いころ、その前を通るときにはいつも根本道場、根本道場と心の中でつぶやいていた。その音がなんとも愉快で、繰り返すうちに楽しい気分になったものだ。

その東寺の南大門まえのお堀に、一羽のアオサギがいた。

いつも毎日、おなじ場所にたち続け、正面の九条通りのほうを向いている。微動だにしないその様子は、さながら修行僧を思わせた。しかしごくまれに、すこし立ち位置を変え大宮通りのほうを向いているときもあった。そんなときは「きょうはオフさ。思い切りはねを伸ばすんだ」と言っているように見えた。(もっともはねはいつも通り閉じられていた)

「なあ、いつもひとりきりで寂しくないのかい。もうすこしむこう、鴨川までいけば仲間もいるだろうに」

わたしはいつしかアオサギに話しかけるようになっていた。

京都のランドマーク

東寺の五重塔は高さ約五十五メートル、いまも京都のランドマークとしての存在感を示している。過去何度か焼失しており、現在のものは五代目、徳川家光の寄進によって建てられたものだ。

鳥羽伏見の戦いのさい、西郷公はこの塔にのぼり戦況を眺めて新政府軍の優勢を確信したという。

五重塔の姿がお堀の水面にうつる。それを見たアオサギが塔にむかって飛んでいく。

そんなとりとめのないことを、ぼんやりと思った。

真言密教の教えを体現するもの

ある日、お堀からアオサギがいなくなった。

別の日に通りかかっても、やはり姿が見えない。

「渡り鳥なんだよ。寒くなったんでどこかに飛んで行ったんだ」そんなことを言うヒトもいた。本当だろうか。

東寺では毎月21日、露店がならび市がたつ。弘法市、弘法大師が承和2年3月21日に入定されたことに因む。

その弘法市の日、クルマの中から、行き交うヒトのながれのなかに、こちらをじっと見つめるアオサギをわたしは確かに見た。

次の日、わたしは東寺に向かった。いない。

わたしは南大門から中に入った。

正面には威風堂々、金堂が見えた。

右手には八島社。

ここの地主神をまつっているとされる。

左手にも、アオサギはいなかった。

わたしは南大門から表へ出た。

すると門の左右に一羽ずつ、アオサギがたたずんでいた。

「おまえ、ひとりぼっちじゃなかったんだな」
そればかりではなかった。

壬生通りのほうにも一羽、大宮通りのほうには二羽とアオサギがいた。

なんということだ!

曼荼羅に描かれた如来のように、鳥たちはわたしを魅了した。

わたしは立ち尽くしていた。

どうか連れて行ってください。余人の立ち入れぬ、未聞の境地へ。