我が国最古の天覧相撲の記録は、日本書紀によると、第11代垂仁天皇の御前での大和の當麻蹶速 (たいまのけはや) と出雲の野見宿禰 (のみのすくね) のとりくみとなる。
もっともこの時代の捔力 (すまひ)、現代の角力 (すもう) とは少々異なっている。
なにしろ野見宿禰は、敗れた當麻蹶速の腰骨を踏み折ったというのだから、いまならさしずめデスマッチのレスリングといったところか。
また、そのとりくみの日が「垂仁天皇7年7月7日」とされているなど、相撲が七夕を中心とした一連の行事のひとつであったとも考えられている。
へえ、野見宿禰って出雲のヒトなんだね。
そうなんだ。ただ、山陰の出雲国とする説と、大和国の出雲、現在の奈良県桜井市出雲とする説の二説があるね。
どちらかはわからないのね。
日本書紀を読むと、七夕の7月7日に呼ばれてすぐに来たように読めなくもないから、大和の出雲とするほうが説得力があるかもしれないね。
奈良県葛城市にある、そんな當麻蹶速の名を冠した葛城市相撲館「けはや座」を訪問した。
先月、當麻寺近くにあるそこに着いたときには、すでに閉館時間まぎわで入館をあきらめたのだ。
今回は再訪ということになる。
葛城市相撲館「けはや座」
さあ、行こう。
入館料、大人300円ときわめて良心的。
入り口をはいると、いきなり「闘士」と名づけられた力士像が出迎えてくれた。
このウイルス騒ぎのご時世、しっかりとマスクをつけている。
どこに行っても見慣れた光景とはいえ、その律儀さに感心した。
館内には、大相撲で使われるのとおなじ規格の土俵が設営されている。
非常に立派だ。
客席も充実していて、二階は資料の展示スペースになっている。
携帯電話で友人に小声で言った。
「いま、相撲館に来てるんだ」
「へえ、相撲をとってるのか」
そんなわけがないだろう。
ここではしゃぎまわるなんていうのは、子供くらいのものだ。
静かに見学してきただけだ。
非常にいい施設だった。
小粋で、展示物も充実している。
それにしても驚いたのは「土俵婚」だ。
これ、何組もやっているのだろうか。
盛況とかだろうか。
仲人は行司さんと呼ばれているに違いない。
「ヒガーシー」「ニシ―ッ」の呼び声とともに新郎新婦が入場してくるあたりまでは、あるいはお決まりだろうか。
ふたりががっぷりよつに組むことはあるまいが、クライマックスでは (どのあたりだろう) 升席から投げ込まれた座布団が宙を舞うことだけは間違いあるまいと思われた。
わたしは外に出た。
すでに日は暮れかけていた。
當麻蹶速之塚
相撲館のすぐまえに、當麻蹶速の塚がある。
一般に蹶速の塚とされているが、これを當麻寺の開山にかかわった當麻国見の塚とする異説もある。
そして、塚のすぐ横には鉄砲柱があった。
わたしは腰をおとして突いた。
一度、二度と突くと、なにやらおもしろくなってきて、声を出していつまでも突き続けた。
「どすこい、どすこい、どすこい!」
鉄砲柱のむこうの植え込みに、たしかつくしがアタマを出しているのが見えた。
そう、あれはたしかにつくしだった。