変遷する玉手山公園―西日本初の遊園地から地域の憩いの場へ―

玉手山遊園地…。なんと懐かしい響きだろう。

1,908年 (明治41年) に西日本初の遊園地として開園され、昭和30年代の最盛期には、年間数万人の来園者をかぞえ大変な賑わいをみせていたこの遊園地も、しかし、その後は少子化などの影響から徐々に来園者数が減少し、1998年 (平成10年) 5月、ついには惜しまれながらの閉園に至った。

現在、その跡地は柏原市立玉手山公園・ふれあいパークと装いを新たにし、多くの市民に親しまれている。

玉手山公園の魅力とは

玉手山公園 (玉手山遊園地) の魅力のひとつに、その立地をあげてもいいだろう。

北を流れる大和川と西の石川との合流地点から南にひろがる狭い玉手山丘陵には、多くの古墳が点在し、玉手山古墳群をなしている。

玉手山古墳群の範囲については様々な提言があるが、それを玉手山公園周辺の範囲だけに限って考えるならば、玉手山1号墳 (小松山古墳) から玉手山10号墳 (北玉山古墳) まで、いずれも10基の古墳時代前期の前方後円墳で構成されていることになる。

その約半数がすでに破却されてしまっているとはいえ、玉手山遊園地について語るとき、昭和レトロな遊具や梅林とならんで「ああ、あの古墳の!」と目を輝かせる年配者がいるのもうなずけるだろう。

玉手山公園の来園について

アクセス

近鉄大阪線河内国分駅、同じく道明寺線道明寺駅のどちらからも1.2キロ、徒歩で約20分の道のりになる。
柏原市では公共交通機関の利用を推奨している。

しかし、それは少々骨が折れると思われたので、わたしはクルマでむかった。

駐車場

カーナビゲーションをセットすると、駐車場のある南入口まで導いてくれた。

警備員が2名いた。

尋ねてみれば、常駐ではなく、今日が祝日だからだという。

見れば、ほぼクルマで埋め尽くされていたが、わたしは辛うじてとめることができた。

これは予想に反して嬉しいことだった。

すっかり寂れてしまっていて、人影もまばらであったら、暗い気持ちになっていただろう。

公園と聞いて賑わいや楽しさを期待するのは、なにも子供に限ったことではない。

 

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ここが満車の場合は、少し離れた第二駐車場を案内するという。

入園料・休園日

駐車場、入園料ともに無料。

開園時間は午前9時~午後5時。

休園日は年末年始と毎週水曜日。

ただし水曜日が祝日の場合は開園し、翌木曜日が休みとなるほか、梅と桜が見頃となる2月初旬から4月下旬までは水曜日も開園される。

園内案内

園内を登って行く。
かなりののぼり勾配だ。

不意にあがった子供たちの歓声に振り向いた。

子供たちがそりに乗って斜面を滑り降りている。

わたしもやってみたくなって、おりていった。

しかし小学生までの利用で、大人はダメだという。

なぜだろう。

なぜ年齢制限なんだろうか。

体重制限ならともかく…。

恥ずかしさのあまり照れ笑いを浮かべながら引き返して、さらに園内を登っていく。

そして最近では、休日に出かけるたびに、いつもおなじめにあう。

膝が笑って動けなくなった…。

息も絶え絶えになって、その場にうずくまった…。

手すりの有難さが身に染みた…。

このときも、まさにそのとおりだった。

ここを訪れたという小林一茶の句碑があった。

玉手山丘陵は、大坂夏の陣のなかでも主要な戦闘にあげられる小松山の戦い (国分・道明寺の戦い) が繰り広げられたところだ。

要衝、小松山の争奪をめぐって伊達政宗隊、本田忠政隊、松平忠明隊、水野勝成隊の徳川方2万3千の兵を、後藤又兵衛基次が2千8百の軍勢を引き連れて迎え撃った。

数で圧倒する徳川方のまえに後藤隊は壊滅。

基次は手傷を負ったのち自害した。

歴史の丘には『後藤又兵衛基次之碑』が建てられている。

となりには後藤又兵衛しだれ桜。

春には美しい花を咲かせる。

さらにそばには、柏原市長 (建立当時) の揮毫による、自害した基次を介錯したと伝えられている吉村武右衛門の碑。

歴史の丘の一番高いところには、豊臣方、徳川方双方の戦死者を弔う両軍戦死者供養塔が建つ。

これは安福寺の珂憶上人によるもの。

そしてこの場所は、玉手山7号墳のちょうど後円部にあたる。

前方部は公園に隣接する安福寺の境内となり、そこには尾張藩二代藩主・徳川光友公の墓所がもうけられている。

供養塔の先に出て北西方向を眺めると、大和川の向こうに標高わずか65メートルの高井田山が見えた。

 

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日が暮れかけてきた。

先を急ごう。

蛍の光

野外劇場なるものが見えてきた。

遊園地時代、賑やかだった頃にここで行われていたのは着ぐるみを着たヒーローショーだったろうか。あるいはもっと別の、手に汗握るなにかだったのだろうか。

しかしいまは、人っ子一人いない。

不意にいたずら心が頭をもたげてきた。

わたしはステージにたつ。

なんと滑稽な思い付きだろう。

その隣には『昆虫館・貝 化石館』『おもちゃ館・歴史館』がある。

さらに先に、音楽堂があった。
これは遊園地開園当時に建てられたという貴重なもの。
ここで楽団の奏でる音楽が、園内中に鳴り響いたのだろう。
当時の演奏リストがどうだったのか、わたしには知る由もないが、5時の閉園時間が迫っているいまなら、さしずめ蛍の光だろう。

公園の出入り口付近にでた。
楽しそうな遊具がたくさんあった。

こちらのほうは大人でも利用できるのでしょうか、などと尋ねる度胸は、わたしにあるはずもなかった。