【出雲大社】縁結びの神様に素敵なご縁を頂戴したはなし

みんなが良き縁 (えにし) をもとめている。

自分自身、あるいは家族の誰かがすてきな縁を結びますようにと。

縁結びの御利益をもとめて、大勢の参拝者があしをはこぶ出雲大社は、国譲りに際して大国主神が幽世にお隠れになるために建てられた天日隅宮 (あめのひすみのみや) を始まりとする、と日本書紀は記す。

そして十月 (神無月・出雲では神在月) には、神々がこの大社を訪れて様々なことを話しあう、とされたことから、いつしか縁結びに御利益があると考えられるようになった。

『多賀は命神、住よしは船玉、出雲は仲人の神』との一文を井原西鶴の『世間胸算用』にも見ることができる。

わたしも、出雲大社でかけがえのないご縁を頂戴することができた。

~目次~

出雲は仲人の神

出雲の土産物店

出雲大社の参拝をおえて、大鳥居をでた。

そのまま、まっすぐに神門通りをくだっていく。

それまでは鳥居をぬけると、左手にある古代出雲歴史博物館に立ち寄るのが常だったので、この通りには、意外にも片手で数えられるほどしか、来たことがなかった。

青空に、不思議なかたちの雲が泳いでいた。

通りの両側にはさまざまな店が軒をつらね、行き交う大勢の人々でにぎわっていた。

ぜんざい屋にはながい行列。

看板には『ぜんざい発祥の地 出雲』とある。

神在月八百万の神々が出雲に集まりおこなわれた神在祭 (かみありさい・じんざいまつり) においてふるまわれた神在餅。それが読みの変化をともなって、じんざい、ぜんざいになったとの説がある。

 

そうだったのか。

なんであれ、甘味を口にできるのはこのうえない喜びに違いない。

しかし、わたしはそれを横目で見ながらさらに南へ下っていき、一軒の薄暗い土産物店に入った。

客はどうやらわたしひとりのようだった。

さて、どれを買ったものか。

店内を見まわす。

どれも結構な値段がするな、などと思っていると、どこからか声がしたような気がした。

空耳だろうか。

店主の姿も見えなかった。

買って。

夫婦こけし

今度ははっきりと女性の声が聞き取れた。
 

買って…。買ってよ。

ちょっとはしたないですよ。
たいへん失礼しました。
いえね、ずいぶんと優しそうなかたが入ってきたなって、ふたりで話していたんですよ。

 

みんなすぐに売れていくのに、わたしたちだけ、ずっとこのままでいるんだよ。
もう一年近くここにいる。値段も高くないのに。
1000円以下は、わたしたちだけだよ。

どうか手に取ってご覧になってください。

わたしはすこしも驚いたりせず、不思議とも思わないで、もとめにしたがった。

いま思えば、ずいぶんと不思議なことだ。

 

ねっ、首に五円玉を巻いてるんだよ。
みんなとご縁を結べるように。
こんどはわたしを見てよ、背中。

 

ねっ、出雲大社ってあるでしょう?
最初はなんか恥ずかしかった。でもいまは誇らしいよ。出雲大社だから。

 

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へえ、奈良に帰るんだ。
奈良のどのあたり?

ほう、二上山のあるところ。
すこしは知っていますよ。ラクダの背中みたいにふたつの峰があるお山でしたね。

 

亀井の殿様は、ラバとか孔雀とかを御朱印船にのせて異国から連れてきたんだよ。

 

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これは不思議なご縁といえます。
二上山と出雲。どちらもヤマト王権から生と死の境の地と見なされた。
イザナギやオオアナムチが死者の国から懸命に逃げ帰ってきた黄泉平坂 (よもつひらさか) も出雲にあるとされた。

 

伊賦夜坂のことだよ。

 

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でもどうして?
その二上山に夕日が沈んでいくところは見えるよね。でも、出雲に、日御碕に夕日が沈むところなんて、遠すぎて見えないよね。
ただ西の方角っていうんなら、ほかのどこでもよかった。
なのにどうして出雲?

 

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国譲り

それは国譲りに鍵があるのかもしれない。

出雲の国譲り神話はひろく知られているところだが、ヤマト王権が勢力圏をひろげていく過程で、列島のいたるところで同様のことがあったに違いない。

二上山のある金剛・生駒山系を舞台にした国譲りも、いまに伝えられている。

神武東征のおり、長髄彦 (ながすねひこ) は、熊野を迂回してきた磐余彦尊とふたたび対峙。そのとき、あろうことか長髄彦は自らが奉じる饒速日命 (にぎはやひのみこと) に誅殺されてしまう。

そして饒速日命神日本磐余彦尊に帰順して、その地を明け渡した。

 

ヒコホホデミ

うん、ヒコホホデミはいよいよ初代天皇として即位された。

 

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山の民はヤマト王権によって住み慣れた土地から次々と追われていったのだろう。

葛城山一言主大神や修験道の開祖、役行者 (役小角)も土地を追われ、国譲りに追い込まれたと解釈することもできるのではないか。

役行者

 

それが平和裏に行われたのではないことを、いまも山中に数多く残る粗末な蜘蛛塚が伝えている。

一言主神社参道にある蜘蛛塚

 

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行きたいな。
二上山、見てみたい。

あまり厚かましいことを言うのは気が引けるんですよ。
でも、遠くの地とご縁を結ぶことができたらいいのになあ、などと考えてしまうわけです。

縁結び

奈良と大阪の府県境にある、ふたつの峰をもつ双耳峰、二上山

古人(いにしえびと) たちは、夕日の沈むこの山のむこうに、死とその再生とを凝視したにちがいない。

山頂には大津皇子が葬られ、また山の西麓には孝徳、敏達、推古の各天皇陵や、聖徳太子小野妹子などの貴人たちの墓が、まるでエジプトの王家の谷よろしく狭い地域に密集している。

 

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四季折々にことなった表情をみせて人々を魅了する二上山は、また、人々の生活に寄り添う山でもあった。

太古には、ここで産出されるサヌカイトが打製石器の原料となって、近在に原始集落を形成させた。時代がくだると、二上山から切り出された石材が、古墳の石室などに利用されるようになる。

現在もサンドペーパーなどにつかわれる金剛砂の供給地として、わたしたちの生活をささえている。

 

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府県境を越えれば、山麓にひろがる白いむき出しの凝灰岩が奇観をなす屯鶴峯が出迎えてくれるだろう。

もうすぐだ。