大阪府柏原市にある高井田横穴公園は、6世紀中ごろから7世紀前半にかけて築造された高井田横穴群を史跡公園として整備し、平成4年 (1992年) 5月に開園された。
現在までに確認されている横穴は162基。
そのうちの27基から線刻壁画が発見されている。
しかし、この公園のもうひとつのハイライトは、園内のもっとも標高の高いところにある。
~目次~
高井田山古墳
標高わずか65メートルの高井田山の山頂には、斜面に掘られた横穴群に先行すること約1世紀、5世紀後半の築造と考えられる高井田山古墳がある。
直径約22メートルの円墳。ただし小さな前方部が接続されている可能性を指摘する声もある。
現在では墳丘部は取り払われ、石室は透明のアクリル板で覆われており、外から石室内部を見ることが可能となっている。
石室から出土した数々の副葬品は史跡公園に隣接する柏原市立歴史資料館 (後述) で保管、展示されており、現在、石室内にはそのレプリカが置かれている。
副葬品のなかでも、もっとも目を引くものとして、古代のアイロン、火熨斗(ひのし) があげられる。
シンプルに考えるべきだと思います。
— 松野文彦 (@ma2no_z32) 2023年10月5日
いま、高井田山古墳(大阪府柏原市)について調べているんですが、ここからはひのしという古代のアイロンが出土しているんです。
古代人はずっとシンプルでした。 pic.twitter.com/pzWXlmKu6l
火熨斗は小型のフライパンのような形状で、椀の部分に熱した炭をいれ、底を衣類に押し当ててしわを伸ばすように使用されたもの。国内での出土例はわずか数例で、高井田山古墳から出土したものと類似の火熨斗が、武寧王陵から発見されている。
石室内のふたりの棺が、日本にしか自生していない常緑樹、高野槙 (こうやまき) でできていたことも話題となった。
これも資料館に展示されている。
この高井田山古墳は、石室の造りや出土品が百済との関連を思わせることから、その被葬者には、昆伎王 (こんきおう) と同妃がしばしば擬せられる。
古代の飛鳥戸郡 (安宿部郡・あすかべのこおり) に勢力を持っていた渡来系氏族、飛鳥戸氏の祖とされており、かつては飛鳥戸神社 (大阪府羽曳野市) にその御魂がまつられていたとも (現在の祭神は素戔嗚尊) 考えられている。
なお、昆伎王と称されているが、正式に百済の王位に就いたことはない。
高井田横穴群
6世紀中ごろから築造の始まった、現在までに162基が確認されている高井田横穴群は、東から順に第1支群から第4支群へと、大きく四つの支群に分けることができる。
第1支群は、わたしは未見ではあるが、比較的大きな横穴が多いとされている。ここは史跡公園の外、府立学校の敷地内にあり、通常は見ることができない。
第2支群は高井田横穴群のなかで、最も早くから築造が始まったと考えられている。
第3支群には『船に乗る人物』と題された線刻壁画をもつ、有名な第3支群5号横穴がある。
公園内の一番西に位置する横穴群は、第4支群と称されている。
ここ柏原市には、ほかにも太平寺横穴群、安福寺横穴群、玉手山東横穴群がある。最近になってアゼクラ遺跡 (大阪府枚方市) が発見されるまでは、大阪府内で横穴群のあるのは柏原市が唯一だった。
とはいえ、柏原市のすぐ東、金剛・生駒山地をこえて奈良県に入れば、多くの横穴群が存在している。
駐車場、アクセス情報
ここを訪れるには、断然、公共交通機関がおすすめだ。
公園の目の前にJR高井田駅があり、これを利用しない手はない。
この場合は、公園入口までは約800メートル、途中の信号を考慮すれば、徒歩で10分はみておきたい。
そしてクルマでとなると、公園自体には駐車場が未整備なので、隣接する柏原市立歴史資料館の駐車場を利用することになる。
しかし台数にかぎりがあり (7台分) 休館日には利用できない。
その場合には高井田駅、河内国分駅のちかくにある民間の駐車場にとめることになる。
公園周辺はすぐそばまで民家がたてこんでいる。
路上駐車などは厳につつしみたい。
柏原市立歴史資料館
平成4年 (1992年) 5月の高井田横穴公園の開園から遅れること半年、同年11月に柏原市立歴史資料館はオープンした。
高井田山古墳や高井田横穴群から出土した副葬品などを、保管、展示するのみならず、期間をもうけて様々な企画展なども随時ひらかれている。
休館日は年末年始と毎週月曜日。
入館料無料。
園内散策
それにしても、この公園の緑の濃密さはどうだろう。
なんと美しいことか。
園内には、いくつも東屋が設けられている。
気ままなひとりでの散策にも、家族連れの行楽にも向いている。
なにだろうか。
道になにかの実がいっぱい落ちている。
近づいてみた。
どんぐりがいっぱい落ちてる。 pic.twitter.com/b8D4iJzEFN
— 松野文彦 (@ma2no_z32) 2023年10月26日
園内のあちこちに、出土品のレプリカがさりげなく置かれている。
また、線刻壁画をもつ横穴群の全国分布図や、横穴墓内の玄室の様子を再現した模型なども設置されており、散策のうちに、自然と横穴群や古墳時代について学習できるよう配慮されてもいる。
全国的に見ても、線刻壁画のある横穴墓ってめずらしいんだよね。
そうなるね。
ここ柏原以外では、熊本に多くあるんだ。古代の熊本の石工たちが東進してきて高井田横穴群を築造したって説を唱えるヒトもいるくらいなんだ。
ふーん。
ところで、もう歴史資料館にもどろうよ。駐車場に向かって北進開始!
ちょっと待って。
竹林広場にも行ってみたい。
さっき通ったよ。
第二支群に行くとき。
そうだったかな。
でも、きみが言うんならきっとそうだ。そうだよ、もどろう。
わたしは歴史資料館のほうへ顔を上げた。
そこに続くコンクリート製の階段が見えた。
『この道はふたりで行くと決めた道』 pic.twitter.com/8b9BfzvVcH
— 松野文彦 (@ma2no_z32) 2023年11月9日
おわりに
階段のわきに、小さな石碑があるのが目に入った。
近寄ってしゃがんで見てみる。
すでに肉眼では読み取りづらくなっているが、柏原市教育委員会 編集・発行の「国史跡 高井田横穴」によると、正面には『李王並同妃両殿下台覧横穴』そして背面には『昭和十六年四月十八日建之』と刻されていると説明されている。
これは1926年 (大正15年) に王位を継いだ最後の李王 (すでに韓国皇帝ではない。韓国併合は1910年) 昌徳宮 李垠 (李王垠) 殿下と李方子 (梨本宮方子女王) 妃殿下のことにほかならないだろう。
李垠殿下は日本陸軍所属。
1940年 (昭和15年) には大阪へ赴任。陸軍中将となっている。
おそらくこの頃に、お出ましの機会を得たのだろう。