JR香芝駅に列車がはいっていく。
踏切のバーがあがり、わたしは瓦屋根のちいさな駅舎のほうに歩みをすすめた。
やれやれ、こんな風に時間を潰すことになるとは。
今日が4回目のワクチン接種だった。
いったいいつまで続くのだろう、という徒労感にもまして、これ自体正解なのかどうか確信を持てないままに打ち続けていることは大きなストレスだった。
そのせいでもあるまい。予約時間を間違えて2時間もはやく会場に着いたのは。
わたしは会場近くのJR香芝駅のそばにクルマをとめた。
30年近く香芝に住んでいるというのに、このあたりを歩くのは初めてではないか。クルマで通ったことさえ片手で数えるほどだ。
JR下田駅がJR香芝駅へと名称変更されたのは2004年のこと。
あれは国道165号線をはさんですぐそばにある、近鉄下田駅との混同をさけるためだったのだろうか。あるいはその10年前に、大阪ではやはりJR湊町駅がJR難波駅へと名前をかえているのとあわせてみると、ビッグネームのほうに寄せていく、というのがJRの方針なのだろうか。
JR香芝駅前
香芝市にはJR和歌山線、近鉄大阪線、近鉄南大阪線と三本の鉄道がはしっている。
直接大阪市内に乗り入れている二本の近鉄線にくらべて、奈良県王寺町と和歌山市をむすぶJRのほうは、なにやらのんびりとはしっている印象だ。
そんなわけで市名の「香芝」を冠したJR香芝駅も決して市の中心駅というわけではなく、そこにいたる道路は狭小で、駅への路線バスの乗り入れなどもない。
駅前には公衆電話、そのすぐそばにある数本の樹木は赤く染まった葉をあらかた落としていた。
そのうしろには駐車場。
フェンスのすぐ向こう側に、市内にある、顕宗天皇陵、武烈天皇陵をしめす碑がたっていた。しかし、これではほとんど人目に触れることはないな、と残念に感じながら、今年の春に顕宗天皇陵に参拝したときのことを思い出していた。家を出て、徒歩で、満開の桜並木をぬけて…。あれが初めてだった。向かいのユニクロにはたびたび行くというのに。
あれは小さな旅のはなし。
駅舎のとなりにある駐輪場を過ぎると、まっすぐにのびる細い道と交差した。クルマが一台やっと通れる程度の道幅。そして香芝市発足以前、ここがまだ下田村と呼ばれていた頃に建てられたであろう古い家屋がいくつも残っている。
これはそうだ、美保神社のそばにある青石畳通りに雰囲気が似ている。
この道も、雨に濡れると青く瑠璃色に光るのだろうか。
その道を左に曲がると、小さな金刀比羅宮があった。
わたしは柏手をうった。
わたしはいま来た道をもどり、また踏切をこえてそのまま進んでいった。
左手に鹿島神社の駐車場があった。
そのさきに鳥居が見えた。
鳥居は遠慮がちにあたまをのぞかせていた。
七五三詣でののぼりが見えた。
鹿島神社
狛犬がわたしを出迎えてくれた。
両部鳥居に『御鎮座 850年』と横断幕がかけられていた。
御鎮座の文字に、うまく笑顔がはめ込まれている。
御祭神は神社名から察せられるように、武甕槌大神 (たけみかづちのおおかみ)。
承安2年(1172年)、3月、常陸国・鹿島本宮より御分霊を勧請したとされる。
さらに奥には拝殿。
その前のテントには、美しい花々の鉢植えが置かれていた。
清浄な気がながれていた。
静かだった。
そもそも、鹿島が転訛して香芝という地名になったとも聞く。
もっと早くに参拝しているべきだったかもしれない。
笑み守
それにしても広大な鎮守の杜だ。
わたしはもっとよく見たくて歩道橋のうえから眺めてみた。
それでも全体を見渡すことはできなかった。
わたしは歩道橋からおりた。
神社の外の張り紙が目に入った。
『笑み守』
笑っていなさい、ということか。
笑う門には福来る。そして美しい人生が招来する。あの拝殿前に置かれた花のように。
わたしはにやにやしていたのだろう。
通りかかった年配の男性が (といってもわたしよりは年少だろう) 怪訝な面持ちでこちらを見ていた。
「花がね…」
わたしは小声で言って、その先は言いよどんだ。
…ここからでは見えないんだ。拝殿前の花がね。
わたしは声をあげて笑った。哄笑はやまずに、ついには腹を抱えて長々と笑い続けた。