いまも古都の面影を色濃くのこす奈良市内にたいして、ずっと南の御所市までくだってくると、山々に囲まれた土地のあちらこちらに、唐突に緑濃い小山があらわれて、あれは古墳なのだろうか、それとも鎮守の杜かしら、などと想像を巡らせるとココロが踊る。
グーグルマップのナビを頼りにクルマをはしらせていた。
「200メートル先、櫛羅を左折です」
ああ、これはクジラって読むんだ。
さすがはグーグル、なんでも知ってるってわけだ。
朝起きると、いつもぼんやりとした意識の中でスマートフォンを起動させて「G」のアルファベットをタップする。
ニュースの一覧がながれる。
そのいずれもが、わたしの興味をひく事柄ばかりだ。
わたしの趣味を理解し、分析する…。
そして毎日グーグル検索を利用するうちに、時々、こいつにすっかり支配されてからめとられているような気になることがある。もうわたしなどに勝ちめはないということなのか。
そういう時代さ、まわりのみんな、訳知り顔で言う。
「200メートル先、ゴショ駅南を左折です」
「続いてゴショ駅前を直進です」
なんてことだ。
これはゴショではない。ゴセだ、ゴセ。奈良県ゴセ市。
どうしたんだ…。
グーグルよ、まだわたしにも勝ち目があるというわけだ。
丸山古墳を訪ねて
大和高田バイパスから京奈和道にはいる。
以前、この道をとおって丹生川上神社・中社に参拝したときのことが思い出された。
初詣だった。
見事なお社、息をのむようなまわりの美しい自然、瑠璃色の淵。
わたしはそのことをすぐにブログにしたためた。
『新年あけましておめでとうございます』
いやはや、だ。このタイトル。検索エンジンをまったく意識していないことはともかく、恥ずかしくも二重敬語みたいになっている。
「新年おめでとうございます」か「あけましておめでとうございます」にしないと。
でも、訂正したり削除したりする気にはなれない。
あれを読むと、いまでもあのとき中社をはじめて目の前にしたときの興奮、そして、それをすぐにだれかに伝えたいという高揚した気持ちのまま、いっきにキーボードを叩いたときのことがまざまざとおもいだされるから。
京奈和道を途中でおりたわたしは、片側一車線の国道を高取町、明日香村を過ぎて橿原市をのんびりとはしっていた。
日は暮れかけていた。
奈良県内最大の前方後円墳
丸山古墳の名称は全国に多くあり、丸い山、すなわち円墳であるところから名付けられている場合が大半だという。
この丸山古墳も長いあいだ円墳と見做されていたが、近年の調査で全長318メートルを誇る奈良県内最大の前方後円墳であることが確認された。
後円部は宮内庁によって天武天皇、および持統天皇が被葬候補者とされ、畝傍陵墓参考地とされている。地元にはここを欽明天皇陵とする言い伝えがあり、また、蘇我稲目を被葬者とみるむきもある。
わたしはクルマをおりて古墳に登った。(もちろん、後円部には柵が設けられ立ち入れない)
予想通り、人っ子一人いなかった。
時間の問題もあったろう。
しかし、それ以上に世間の認知度が低いせいなのは間違いない。
たとえば高松塚古墳 (奈良県明日香村) といえば色鮮やかな壁画を誰もが思い浮かべる。そして大仙古墳 (仁徳天皇陵・大阪府堺市) といえば、言わずと知れた我が国最大の古墳であり、世界遺産だ。近辺には公園が整備され、資料館が建ち、飲食店もある。後円部側 (大阪中央環状線側) には「こ・ふんカフェ」なる店まであるが、その店がどんなこふんな (古風な) 料理を提供しているのか、残念ながらわたしは知るよしもない。
たいして、ここ丸山古墳にはキャッチーなうり文句になりそうなものがなにもない。
大きな古墳だが、日本一ではない。天皇が眠っているらしいが、被葬者は特定されていない。もっとも多くの天皇陵において、被葬者がそのヒトであるという確たる証などなにもないわけだが。
そんな丸山古墳だが、過去に一度、全国ニュースになったことがある。
1991年5月、大雨により古墳の土砂が崩れ横穴式石室羨道への入り口が露出、付近の住民がそこから石室内部へと入っていきカメラで撮影した。このことは大きな話題となり、様々な考古学的収穫をもたらした。しかし単発の打ち上げ花火で終わり、それきりだった。
翌年、宮内庁書陵部によって、開口部の閉塞工事がおこなわれた。
絶好の機会をみすみす逃したわけだ。
誰もいない古墳を訪れたときの寂寥感たるや、言葉ではうまく言い表せない。そこが大きな古墳であればあるほど。そしてこの時のように、日が暮れかかっていればなおさら。
丸山古墳のうえに月が昇っていた
しかし、そんな丸山古墳をめぐる状況にも変化が訪れるかもしれない。
首尾よく成就すれば、三山のそばにある丸山古墳にもいい影響があるだろう。
わたしは古墳の周辺部を歩いていた。
丸山古墳のうえに月が昇っていた。
近くに三山のいずれかが見えるだろう、わたしはあたりを見回した。
さらに遠くには二つの峰を持つ双耳峰、二上山がちいさく見えた。
そして丸山古墳のうえには確かに月が昇っていた。