【信太の森】葛の葉姫伝承をうんだ悠久の森を行く。聖神社を中心に

関西地方に住まうものにはとくによく知られているように、信太の森 (しのだのもり) は大阪府和泉市にひろがる、古来よりいまに至るまでつづく悠久の森だ。

森は信太の森」と清少納言枕草子において称えたそこにも、しかし近年においては開発の波が押し寄せて、信太山丘陵の斜面にも家々など建ち並び、豊かな自然はすこしずつ浸食されるに及んでいる。

しかし、人々がこの地に魅了され集うのは、故なきことではないのかもしれない。

はるか昔より、そこでは日々の営みといえるものが盛んにおこなわれていた。

信太山丘陵をくだってすぐのところには、国内屈指の規模を誇る弥生時代中期の環濠遺跡、池上・曽根遺跡が間近にせまっている。当時にあっては、海岸線はいまよりもさらに近く、森に入れば食用のどんぐりなども取れたとされている。

平安時代になると、京のみやこの皇族、貴人たちが熊野詣に向かうための街道 (熊野街道) が信太を通る。街道沿いにはその参拝者たちの庇護を願い、奉幣や読経をおこなう王子社、篠田王子 (信太王子・しのだおうじ) がたてられた。

そして、在りし日に篠田王子があったと目されているところからほど近くに、聖神社 (ひじりじんじゃ) の、石造りの見事な一の鳥居がたっている。

~目次~

境内案内

二の鳥居

一の鳥居をぬけて500メートルほどクルマで住宅街のなかを駆け上がっていくと、二の鳥居が見えてきた。

平日の午後、人影のない長い参道はやがて左に折れ曲がった。

境内の全景が見える。

正面遠くに朱色の末社がたっていた。

左手に本殿。

そのいずれもが、なにやら隅の方へと追いやられているような印象をうけた。

境内の中央にはなにもない。

空虚、という言葉があたまをよぎる。

その開けた空間は、傾きかけた日の光に照らされるにまかせていた。

本殿

聖神社の本殿は豊臣秀吉の根来攻めの際に焼失、所領も没収となったが、1604年 (慶長9年)、豊臣秀頼の命により、再建された。
現在では2019年の修復工事を経て、極彩色も鮮やかによみがえっている。

末社

向かって右が三神社、左が瀧神社。

末社

平岡神社。
聖神社本殿と同時期に再建。春日造り。

大阪府指定有形文化財

 

不動明王

神仏習合時代の名残り。
かつては神宮寺・万松院が存在したが、明治期初頭の神仏分離の流れの中で廃寺となった。

お塚

数多くのお塚がたち、あまり一般には馴染みのないたくさんの神仏がまつられている。

ここから1.5キロほどさきにある、信太森葛葉稲荷神社 (信太森神社) との類似にはっとさせられる。

安倍保名と白狐は信太の森で出会い、その白狐が化身した葛の葉姫とのあいだに生まれたのが安倍晴明公であるとする歌舞伎や浄瑠璃で有名な話がうまれる素地が、信太にはあった。

かつて信太の地には声聞師 (しょうもじ) と称された民間の陰陽師・職業芸人が集っていた。

かれらが自らの姿を実在の安倍晴明公に仮託し、葛の葉姫伝承をうんだ、と考えるのはうがちすぎだろうか。

 

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創建の由来

675年 (白鳳3年) 天武天皇の勅願によって、百済系渡来氏族の信太首 (しのだのおびと) が聖神 をまつったのが始まりであるとされている。

助松浜 (大阪府泉大津市) に上陸した聖神は信太の森まで布を敷き、いまの聖神社に坐 (いま) すに至ったという布引の道伝承が、いまも地元にのこる。

 

レッドカーペットみたいだね。

泉南地方はいまに至るまで繊維産業がさかんだからね。それとの関連も気になってくるね。

なお聖は聖なる意とも、また「日知り」の意とも目されている。

現在の大阪府奈良県のあいだには山々が連なっている。

北より、生駒山高安山信貴山二上山葛城山金剛山…。

どの頂から朝日が昇ったかで季節を知ったであろうと、想像することもできる。

聖神
古事記によると、大年神伊怒比売とのあいだに生まれた五神 (大国御魂神・韓神・曾富理神白日神聖神) の末の神とされている。

 

相撲はいかが

境内を散策していても、その真ん中にひろがるなにもない空間がずっと気になっていた。

もう帰ろうか。そう思いながら、わたしは木々のあいだを覗き込んだ。

土俵だ。
奉納相撲がおこなわれていた証だろうか。

わたしは嬉しくてたまらなくなった。

 

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さあ、見合って見合って。

見ますとも。あなただけを、永遠に。

 

えーっ!

晴れているというのに、急に雨がふりだしてきた。

ここで雨がふるなどというのは、なにかの作為かしらと勘繰りたくなるところだ。

狐の嫁入り

わたしは急いでクルマにもどった。

聖なるものを求めて

明治維新はこの国の姿を一変させた。

聖神社の場合も、神宮寺が姿をけしている。

それは文化の面でも例外ではなく、外国から怒涛のようにやってくる新たな知識、概念を咀嚼することに追われた。

「宗教」という言葉もそのとき「Religion」の訳語として採用された。


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 わたしはこの曲が好きで、運転中によく聴く。

オールドロックファンはR.E.Mも「ドキュメント」までだったよね、などと言う。わからなくもないが、この曲は異彩を放っている。もっともこのタイトルは宗教とは関係はないのだが。(宗教心、信じるものを失ったように)取り乱してしまった、我を忘れてしまった、という意味。

 

すみっこにいるのはぼくだ。

スポットライトを浴びているのはぼくなんだよ。

われを忘れちまったんだ。

        (ルージング マイ レリジョン)


クルマは一の鳥居を過ぎて、北に向かった。

その道が、以前の熊野街道であるのかどうか、わたしにはわからなかった。

雨があがった。

きらきらと光を反射させたアスファルトの路面は、真夏の砂浜のようだった。

遠くに虹がかかるだろうか。

 

                                                                              (最終更新日 2023.7.10)