古墳

【八幡神社 (橿原市山本町) 】神武天皇の皇子、神八井耳命の墳墓伝承地

神武天皇の皇子、神八井耳命 (かむやいみみのみこと) は第二代・綏靖天皇の兄御子で、多氏の祖とされている。 日本書紀は畝傍山の北に葬られたと記す。 かつて八井神社と称されていたとされる八幡神社 (橿原市山本町) の本殿がたつ、盛り土状の小丘が、その…

【丸山宮址】もうひとつの神武天皇陵、畝傍山山麓に眠る丸山を行く

幕末の文久年間に、現在の四条ミサンザイが神武天皇陵と治定される際には、そこからすこし離れた畝傍山の尾根のうえにある、墳丘状の丸山と呼ばれていた場所も有力な候補地だった。 遠く歴史の向こうに置いてこられたまま、いまでは顧みられることさえまれな…

神武天皇陵、橿原神宮にみる建国神話の可視化過程について

大和三山のひとつ、畝傍山は古来より幾たびもうたによまれ、また祈りの対象ともなってきた。いま、その優美な山容を眺めるとき、思わず静かに手をあわせたくなるのも至極当然のことなのかもしれない。 山麓にひろがる橿原神宮の杜に、初代・神武天皇陵、第二…

変遷する玉手山公園―西日本初の遊園地から地域の憩いの場へ―

玉手山遊園地…。なんと懐かしい響きだろう。 1,908年 (明治41年) に西日本初の遊園地として開園され、昭和30年代の最盛期には、年間数万人の来園者をかぞえ大変な賑わいをみせていたこの遊園地も、しかし、その後は少子化などの影響から徐々に来園者数が減少…

【高井田横穴公園】古墳を頂く史跡公園の魅力を解説。駐車場、アクセス情報も

大阪府柏原市にある高井田横穴公園は、6世紀中ごろから7世紀前半にかけて築造された高井田横穴群を史跡公園として整備し、平成4年 (1992年) 5月に開園された。 現在までに確認されている横穴は162基。 そのうちの27基から線刻壁画が発見されている。 しかし…

【高井田横穴群】横穴墓を築造したのはどのような集団だったのか。彼らの死生観とは。

高井田横穴群の存在をはじめて知ったときの、あの高揚した気持ちを、言葉で表現することはむずかしい。 高井田山は標高わずか65メートル。その丘と呼びたくなるような小さな山に、6世紀中ごろから掘られ始めた横穴墓が、いまもたくさん残っているという。 …

【等乃伎神社】古事記にしるされた古代巨樹祭祀の残像を求めて

失われた古代祭祀の全容を知ることは容易ではない。 周知のように銅鐸などはなんらかの祭祀につかわれていたのでは、と考えられているが、それについての詳細な記述は、記紀のような古典においても見ることができない。ただ土の中に埋められて、語られること…

【奈良県橿原市】丸山古墳、奈良県内最大の前方後円墳、認知度が低いたった一つの理由とは。月が昇っていた…。

いまも古都の面影を色濃くのこす奈良市内にたいして、ずっと南の御所市までくだってくると、山々に囲まれた土地のあちらこちらに、唐突に緑濃い小山があらわれて、あれは古墳なのだろうか、それとも鎮守の杜かしら、などと想像を巡らせるとココロが踊る。 グ…

【大阪府太子町】敏達天皇陵、見上げる空から慈愛の声がきこえるところ

敏達天皇はその在位中、まさに難問山積だった。 外にあっては任那再興をはかるがおもうにまかせず、国内では崇仏・廃仏の争いが大きくなっていった。 585年、崩御のあと、母、石姫皇女の墓であるこの磯長 (科長・しなが) の陵に追葬された。 生前、物部守屋…

飛鳥戸神社と観音塚古墳に行ってきた。うかつにも子供のころの甘い思い出がよみがえってきた。

「近つ飛鳥博物館」「道の駅 近つ飛鳥の里・太子」「飛鳥ワイン」「飛鳥橋」…。 遠方から大阪府太子町や隣接する羽曳が丘 (大阪府羽曳野市) のあたりにはじめて来たヒトのなかには、首をかしげるむきもおられるだろう。 ねえ、飛鳥って奈良じゃなかったかな…

大阪府太子町はお勧めの観光スポットがいっぱい。二上山のむこうにいのちの再生を見た。

二上山 (にじょうざん・ふたかみやま) は雄岳 (標高 517メートル)、雌岳 (標高 474メートル)の二つの峰を持つ双耳峰である。 先週の休日、わたしは長いあいだ、その山を奈良県香芝市の千股池のほとりから眺めていた。 暑かった。 まだ五月だというのに、天気…