失われた古代祭祀の全容を知ることは容易ではない。
周知のように銅鐸などはなんらかの祭祀につかわれていたのでは、と考えられているが、それについての詳細な記述は、記紀のような古典においても見ることができない。ただ土の中に埋められて、語られることさえ憚られたとでもいうように忘れ去られてしまい、後世、偶然に掘り返されたときには、みなが首をかしげて言う。
どうしてこんなところに埋めたんだ?
これにはどんな意味があるんだ?
なにに使った?
また荒神谷遺跡 (出雲市斐川町) から、1984年 (昭和59年)に358本もの銅剣が出土したとき、世間はその数の多さから世紀の大発見と騒ぎたてたが、実際に現地に足を運び、遺跡を目前にしたものは、そこが言うべき特徴のない、何の変哲もない谷の斜面であることに驚いたことだろう。
新たな祭祀が生まれるとき、その執行者は、先行する祭祀の伝承を認めることはなかったのだと、想像にかたくない。
しかしそれでも、古典を子細に読み込めば、往古の信仰の残り香を感じ、小さな断片を拾い集めることができる。
~目次~
高木のはなし
やがて船が破損すると、その材をもって琴をつくった。その音は七里さきまでとどいたという。
神様を「一柱(ひとはしら)」「二柱」と数えるのは、樹木に対する畏敬の念の表れ😲🌳
— 銘木総研 (@KodamaTko) 2023年6月20日
古事記や万葉集の時代から、日本では樹木に神様が宿ると考えられています✨
柱は巨木と同じく神の依代であるという考えからご神体等を「柱」で数えることにつながったそうです🧐#名木と伝承 #きになる木のはなし pic.twitter.com/e8DfGGJMCG
そして、船の廃材でつくったのが琴であるという。
古来、琴は神器、祭器と見做されてきた。
大国主命が、スセリビメを根の国から連れ出すときに持ち出したのも琴であり、出雲国風土記は琴引山の峰にある窟 (いわや) に、所造天下大神 (あめのしたつくらししおおかみ・大国主命) の御琴がおさめられていると記す。
七里さきまで届いたというその琴の音は、巨樹祭祀を奪われた兎寸の人々の慟哭を思わせる。
わたしはクルマをはしらせながら、『兎寸』を現在の大阪府泉南市の『兎田・うさいだ』とする説のあることを思い出した。その場合、兎寸川は樫井川を指しているということになる。
しかしながら神話、なかんずく古事記神話の場合、相容れぬ二つの説を俎上にあげて白黒つけようとすると (そもそも不可能なことだ)、延々とおなじはなしを繰り返しては、結局決着をみないということになる。
国生み神話は、淡路島、四国、隠岐の島の順に国土を生んだとする。
地理的事実として、その順番に国土ができたわけでは無論ない。その順番に国生みされたとするなんらかの歴史的背景や、隠れた伝承があってのことだろう。
因幡の白兎は素朴な白兎の冒険譚に、大国主命の求婚の物語が接続されている。
クルマが表通りからそれると、急に静かになった。
看板が見えてきた。
等乃伎神社
等乃伎神社を訪れた。
式内社。しかし、とりわけ南北朝時代にはこのあたりは戦場となり、社殿等焼失したとされている。
それでも、高木を切り倒した跡にたてられたと目されているこのお社に、巨樹祭祀の残像を見てみたくて、わたしは来た。
授与所にはにぎやかにお守りが並んでいる。
『よそでは手に入りにくいお守り』
看板に偽りなしだ。
しかしわたしはお守りは遠慮して、本を頂戴した。
六月の風が心地よかった。
静かに時が流れるとは、まさにこの境内のようすを指す言葉だと思われた。
拝殿で柏手をうつ。
あいにくの薄曇りの中、太陽は見えなかった。
ここからの日の出の推移のようすをあらわした力作動画を、Tamao氏がツイッター上に公開しておられる。
等乃伎神社②
— Tamao (@PONTAMAO) 2023年6月21日
太陽信仰を知る
「地平線カレンダー」
を動画にしてみた✨
横画面で大きく見れます
古代は神体山から昇る太陽の位置を見て
農耕に重要な春分秋分の時期を知ったと思われる
いつも驚くことに春分秋分にピッタリ
『二上山』の真ん中から🌄
そして
太陽復活の日 冬至は『金剛山』🌅
😳✨ pic.twitter.com/9NjDSAOyWB
拝殿前には梅の木があり、熟した実がたくさん落ちていた。
いい梅酒ができそうだ。
境内のベンチに腰掛けて『等乃伎神社と古代太陽祭祀』を読む。
和泉黄金塚古墳が、この神社との関わりのなかで語られている。
興味深い。
行ってみようか。
クルマに戻り、ナビをセットする。
1.4キロ、4分。
すぐそこだ。
和泉黄金塚古墳
どうやら、あれのようだ。
しかし道が細くなって、これ以上は進めそうにない。
困った。
通りがかりのヒトに道をたずねる。
「ここからは歩きですな。お墓がありましたやろ。あのまえの細い道を入っていく。しばらく行ったら右手にまた細い道がでてきますんや。けものみちみたいな、えっ、こんなとこ人間行けるんかいな、みたいな。そこ、入って行ったら直ぐですわ」
お墓。
お墓の前の細い道。
近づいてきたのかな…。
けものみち…。
これを行くのか。
本当なのかな。
戻ってもいいか…。
和泉黄金塚古墳(大阪府和泉市)に行くとき、こんなハードな道を通った。 pic.twitter.com/410FobrHD6
— 松野文彦 (@ma2no_z32) July 9, 2023
正面に説明版のようなものが見える。
しかし胸くらいの高さまで草木が茂っている。
慎重に、でも勇気をもって。
さんざん、あたりの写真を撮ってから、わたしは来た道をもどって行った。
ふと見ると、梅の実が落ちていた。
またしても…。
あたりを見回しても、いったいどれが梅の木なのか、わたしには判別できなかった。
参考書籍
等乃伎神社と古代太陽祭祀 金子明彦
参考資料
おりがみの時間