夫婦愛などというと、ずいぶんと古めかしい言葉に聞こえて、特に若い人などはそういわれると苦笑して斜めに構えてしまう。わたしのような年配者でも照れてしまうのだから、さもありなんだ。しかしイザナギ、イザナミの夫婦神のことを想うとき、わたしはいつもこの言葉が頭をよぎる。イザナミが黄泉の国へと旅立って以降のエピソードでは、とくにそうだ。
何故なのかは自分でもわからない。
それは御存知のように、壮絶な夫婦喧嘩の話、あるいは永遠 (とわ) の夫婦別れの話であるわけだから。
万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影
黄泉の国へ
火の神・カグツチを産んだときの火傷がもとで、イザナミは黄泉の国 (根の国・死者の国) へと旅立ってしまう。残されたイザナギは嘆き悲しんでそのあとを追い、どうか戻って来てほしいと必死に訴えた。
「わたしは、もうこの国の食べ物を一度口にしたので、もとの国には戻れません。でも、何とかなるかどうか、この国の神に相談してみましょう。ただ、わたしが戻ってくるまでのあいだ、決してこちらを覗かないでください」
イザナミは黄泉の国の御殿の中から、そう言い残した。
しかしあまりにも時間がたって、不安になったイザナギは御殿の戸を開けて、中を覗いてしまう。そしてそこで目にしたのは、体じゅうにウジがわいた、醜悪で変わり果てた妻の姿だった。
「よくもわたしに恥をかかせたな!」
激昂するイザナミのもとから、驚いて逃げ出すイザナギ。しかし、現世と死者の国との境にある黄泉比良坂 (よもつひらさか) で、いよいよ追いつかれそうになると、千引岩 (ちびきいわ・千人がかりでないと動かせないほどの大きな岩) で坂を塞いでしまう。
万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影
「愛しい夫よ。あなたがこんなことをするのなら、わたしはあなたの国のひとを一日に千人、絞め殺しましょう」
「愛しい妻よ。あなたがそんなことをするのなら、わたしは一日に千五百の産屋を建てましょう」
伊賦夜坂の夜
島根県松江市東出雲町にある揖夜神社 (いやじんじゃ) はイザナミノミコトを主祭神としてまつる古社だ。
冬、日暮れ間際のころ、初めてここを詣でたわたしはたまらなく黄泉比良坂に行ってみたくなった。古事記に黄泉比良坂とは出雲国の伊賦夜坂のことである、と記されたそこは、クルマでわずか10分足らずのところにある。
わたしはそこで、力のかぎり走りたくなったのだ。息ができなくなるまで。
イザナギが命からがら逃げかえった伊賦夜坂を力のかぎり走る!
わたしはこの思いつきに夢中になった。
国道9号線をまたぐと、すぐだった。現地に駐車場が整備されていることは意外だった。もっとも5台分程ではあったのだが。
わたしはクルマをおりて、坂道を上っていった。
道の両側に細い二本の石柱が立てられ、注連縄が渡されている。それをくぐると、右手に石碑が見えた。すでにすっかり暗くなって、文字は読めなかったが、そこには「黄泉比良坂・伊賦夜坂伝説地」と刻まれているはずだった。
わたしは立ち尽くしていた。
自分はいつレースをおりたんだろう。いつから走らなくなったのか。
万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影
ものごころがつくやつかずの、まだほんの坊やだった頃には、まわりに大勢の仲間がいた。今から何が起こるのか見当もつかないまま、みなでからだを寄せ合い、緊張してスタートの号砲が鳴るのを待っていた。
わたしたちはいっせいに駆け出した。
やがて口で苦しそうに息をする、ハアハアという音があちこちから聞こえてきた。汗のにおいがした。そのうちに「足を踏まれた」だの「背中を押された」だのと言い出すものがあらわれた。ほんとうに転倒する子もいた。わたしは、ちらと見やったが、手を差し伸べることはしなかった。
何周走った頃だろうか、運動好きのクラスメートがひとりでどんどん飛ばしだした。差は見る見る開いていった。「あいつばかだよ」わたしのすぐ前で声がした。「あんなことしたらすぐにバテるさ。すぐに倒れるぜ。棄権が関の山さ。じきに白目をむいて仰向きに倒れたあいつを見ることになるよ」しかしその後、かれの姿を見ることはついぞなかった。
万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影
そんな風にして、次々と仲間たちが抜け出していった。そのうちに、長い間見えていた前を走る人の背中も、いつしか見えなくなっていた。
気がつけば、他にはだれもいない。
わたしはたったひとりで、このトラックをのんびりとマイペースで走っている。
最近、ふと思うことがある。ひょっとして自分は勝ったのではないか。自分が先頭なんではないのかと。
たしかにいま、わたしは時代の先頭に立っている。周回遅れで。