おなじ山頂を目指すにしても、そこにいたる登山ルートは幾通りも存在する。
よく整備され、舗装の行き届いたおだやかなルート。山中行軍とでも嘆きたくなるような急勾配のみち。そして文字通りのけもの道…。北から、南から、西からと起点を違えたさまざまなルート。
奈良と大阪の府県境にある二上山は、やさしい山容を見せている。ふもとの穏やかな田園風景ともあいまって、雄岳・雌岳のふたつの峰をもつこの山が、かつて火山であったとは、なかなかすぐには納得できない。
わたしは大阪府太子町側にある二上山登山口から、まず、雌岳にある鹿谷寺跡 (ろくたんじあと) を目指した。
そこからなら、「ろくわたりの道」という整備された登山道を行くのが一般的だ。
しかしわたしは、そこよりもすこし東寄りのルートを選んだ。
登山はよく、人生にたとえられる。
正規ルートではなく、そんな裏道を選んでしまうあたり、これまでのわたしの人生の歩みが、推して知れるというものだ。
鹿谷寺跡
ろくわたりの道をすこし東にそれると、道がふたてに分かれていた。
右手に進めば、岩屋や古代池があるはずだ。そして短い渡し板をこえて左手に進むと、鹿谷寺跡にいたる。
まちがいはない。
ちゃんと標識がでている。
しかし薄暗く、いかにも険しい山中に入っていくかんじだ。気が進まなかった。しかしすぐそばにたつ石仏のありがたい、慈悲深いお姿に後押しされた。
道はいちおう階段状に整備されていた。
しかし、一段一段の幅が広すぎて、一歩では登れない。しかも急勾配だ。
ここは「大阪近郊のファミリー向けハイキングコース」をうたっているが、それはろくわたりの道のはなし。
これは断じてハイキングなどではない。ロッククライミングだ。もう壁をよじ登っているかんじ。
そもそもこの道に入るとき、スマホのナビは「目的地まであと5分」と告げていた。おかしいではないか。もうかれこれ10分は経っているのに、表示はまだあと5分のままだ。たとえ10分のうち、6分は息も絶え絶えにへたり込んでいたにしても。
わたしは振り向いた。
背後に識別不能な石造物がたっていた。
元々はやはり仏が彫られていたのだろうか。
わたしは先を急いだ。
ますます道は険しくなっていき、やがて岩壁が行くてをふさいだ。
これを登って行けというのか。
ジャージと安物のスニーカーで来てるんだぞ!
ロープもハーネスも持っちゃいない。
目的はハイキングがてらの仏教遺跡巡りなんだ、ロッククライミングじゃない!
しかしどうやら御仏 (みほとけ) の加護があったようだ。
鹿谷寺跡は、8世紀、奈良時代の石窟寺院跡だ。
付近からは、土師器、須恵器や和同開珎などの出土物が確認されている。
詳しい創建年などの由来は明らかではない。しかし、インドや中国の敦煌など大陸で盛んだった石窟寺院が当時のわが国で認められるのは、ここ二上山山麓が唯一であること。また、その時代、この近つ飛鳥周辺 (現在の太子町、河南町、羽曳野市)では渡来系豪族が勢力を誇っていたことなどから、かれらの関与は濃厚だろう。
十三重の石塔がまず目にはいった。そして、すぐそばの岩窟に線刻された三尊仏座像。
わたしはしばしそれらに見入ったのち、こんどは反対側、ろくわたりの道のほうへと抜けて、山をくだっていった。
あっけないほど簡単に登山口まで戻ることができた。
岩屋と石切り場跡
つぎに、わたしは岩屋へとむかうことにした。
こちらの道は舗装が行き届いている。
しかし、きつい上り坂であることに変わりはない。
ぜいぜい息せき切ってのぼるわたしのうしろから、ヒトの気配が近づいてきた。話し声が聞き取れるようになる。
十代半ばの少年二人だった。
「こんにちは。おとうさん、岩屋ってこの近くですか」
「もうすこし先かな。若いのに仏教遺跡とは渋いねえ」
「いえ、ボクたちカブトムシを捕りにきたんです。岩屋のそばにたくさんいるってきいて」
「ああ、それで網なんか持ってんのか」
最近、見ず知らずの年下の者から、おとうさんと呼びかけられることがめっきり増えた。もう孫がいるような歳なのだから、それもさもありなんだ。わたしはそのたびに、いつも何食わぬ顔をして返事を返している。でも、ほんとうはこう言ってやりたいのだ。
「わたしはただのいちども、おとうさんになったことはないよ。ましてやきみたちのおとうさんじゃない」
登山道のまわりでは、あちこちでアジサイの花が、いまが盛りと咲き誇っていた。
岩屋まであとすこしのところまで来たとき、石切り場跡が左手にあった。
ぺらぺら、ぼこぼこのブリキ板。
もうすこしなんとかならないものかと思いながら、わたしは石切り場跡へとのぼっていった。
ここから高松塚の石室に使用した石材を切り出して、さて、この急斜面をいったいどうやっておろしたんだろう。
この登山道に足を踏み入れて以来、わたしに寄り添うように何者かが森の中でうごめく気配をずっと感じていた。下草をゆらして地面を這いまわり、木の枝から枝へと飛び移っているようだった。先程の少年たちであるはずはない。
それは岩屋が近づいてきたいま、いよいよ数を増やして、濃密に感じられるようになった。
山の神なのか。
まさか山の神がわたしに迫り、わたしと同体になろうとしているというのか。わたし自身がこの山になる!あとはもう、無上の法悦があるばかりだ。
岩屋は鹿谷寺跡とおなじく、奈良時代の石窟寺院跡だ。
大小ふたつの石窟からなり、大きいほうには三層の多層塔があり、壁面には三尊立像が彫られている。
すぐ手前には、杉の倒木が横たわっており、近づくにはそこをくぐらなければならない。
わたしは山をおり、クルマに乗り込むと家路についた。
きょうは裏道、けもの道まがいと、いろいろな道を歩いた。
明日からは、王道だけををまっすぐに歩んでいきたいものだ。