日御碕神社を染めるもの
出雲大社からくるまで15分あまり、県道29号を北に進むと朱色に塗られた見事な権現造の日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)に至る。現在の社殿は三代将軍、徳川家光の命により日光東照宮の…、
「いやあ、立派ですなあ。だいだい色、きれいわ。伏見稲荷と一緒や。」誰なんだ、行く手を阻むこのおやじ。大声で、ところかまわずに勘弁してほしい。
かかわらないで通り過ぎよう。「なあ、大将!」
つかまった。
「はあ…」
「わしな、前からここ、いっぺん来たい来たい思もてましたんや。ヨメがここえらい好きでなあ…。あっちがな、アマテラスまつってますねん。ほんでこっちがスサノオ。御存じでしたか。」
「いや……」どうしてなのだろう。なぜここで関西弁なんだ。「今日は奥さんは」
「なんかこう、身が引き締まるような気持ちになりますなあ。厳粛な気持ちって言いますんかな」
なったかもしれない。あなたがいなくてひとりきりなら。
「ご病気かなにかですか」
「いや、離婚しましてん。二年前」
「……」
「それにしてもきれいわ。だいだい色。ここ、あれですやろ。もうちょっとむこう行ったら、水平線にダーッとおひさん沈んでいくのん見れますんやろ。その夕日に染められたみたいですわな。もともと古代にはその夕日を拝んでたんですやろな。日沈の宮、言うぐらいですさかいな」
そんなわけで、わたしはいま日御碕神社にいた。
そして海岸を目指して歩いて行った。
出雲日御碕灯台
180度ひろがる水平線が見えた。
小さな子供をつれた家族連れ、岩場に腰を下ろす恋人たち。そのうしろを海鳥がてくてくと歩く。まるで若い二人をはやし立てているみたいだ。お幸せに!そして正面には白亜の出雲日御碕灯台。さきほどの男性ならきっと、京都タワーみたいやと、大声をあげていたに違いない。
あいにくの曇天のせいで、夕日は見えなかった。しかし広がるのは見事な海。わたしの両腕いっぱいに、ただ海だけが広がっていた。立ち尽くすうちに、波の音に包まれるうちに、この海がわたしから虚栄や不安などの一切の雑味を洗い流してくれるのではないかと、そんな思いにとらわれた。裸のわたしがそこにいるはずだった。
わたしは日暮れまでそこにいた。
あの日、出雲日御碕灯台が照らし出したわたしは、どんな風に生まれ変わったわたしだったのだろう。