大阪府太子町はお勧めの観光スポットがいっぱい。二上山のむこうにいのちの再生を見た。

二上山 (にじょうざん・ふたかみやま) は雄岳 (標高 517メートル)、雌岳 (標高 474メートル)の二つの峰を持つ双耳峰である。

先週の休日、わたしは長いあいだ、その山を奈良県香芝市の千股池のほとりから眺めていた。

暑かった。

まだ五月だというのに、天気予報は夏日だと告げていた。背中がうっすらと汗ばんでいた。

もう二時間もして、二上山の稜線に夕日がかかる頃には、いくぶんかは涼しくなるだろう。

やがて山の向こうに日が沈み、夜が来て、そしてまた東から泰然と朝日が昇る…。

輪廻する太陽の運行の道すじに、二上山があった。

雄岳山頂付近に大津皇子の墓がもうけられたことが象徴的なように、古 (いにしえ) の都びとたちは二上山を生と死の境をなすところ、そして現生と他界とをへだてるところと考えていたことだろう。そして、山のむこうにいのちの再生を凝視していた。

その現在は大阪府太子町となるところには、推古、孝徳、敏達、用明の各天皇陵や、聖徳太子小野妹子といった貴人たちの墓が、エジプトの王家の谷よろしく数多く密集している。

いまは静寂のなかにたたずむ陵墓群は、むしろその静けさゆえに、当時のひとびとの強い想念をわたしたちにはげしく照射してくる。

 

太子町にて

太子町…。ミカン狩り、いちめんにひろがるブドウ畑、ワイナリー、太子温泉。そして日本最古の官道、竹内街道 (たけのうちかいどう) のはしるこの地に、いまは南阪奈道路が通る。ここを訪れるには「太子IC」「羽曳野東IC」でおりるのがよい。
町の玄関口、近鉄上ノ太子駅前のロータリーには聖徳太子立像が立てられ、駅の乗降客を見守っている。

駅からクルマで10分ほどのところに、推古天皇陵がある。

わたしはさらに、小野妹子の墓を目指した。
道がどんどん狭くなる。
いくら軽自動車だとて、その先の道が不安になり、わたしはクルマを乗り捨てて、徒歩でむかった。

スマートフォンのナビ画面がもうそろそろだと告げたとき、道がわかれた。

石段をのぼったさきに小野妹子の墓があることは、すぐに見てとれた。

しかし左手のお社には、いかにも歴史を重ね、すくなからず物語を生み出してきたであろう古社の風格がある。こちらも素通りするにはしのびない。

さて、どちらに行ったものか。

これはいうなれば、このような感じだろうか。

まったくタイプの異なる、とびきり魅力的なふたりの異性が突然目のまえにあらわれ、同時に求愛される。

あるいは大好物の二皿 (わたしのばあい、たこ焼きとお好み焼きに決まっている) をバーンとテーブルに置かれて、おいしそうなにおいにくらくらしながら、ひたすら目移りしてしまう…とか。

いままでのわたしなら、ロングヘアのコも素敵だが、ボブのコもいいな、などとオロオロして迷うばかりで、結局、両方から愛想をつかされてしまう、といった塩梅だった。

しかしもう、そんな笑いまみれの後悔とはおさらばだ。

男なら、人間なら思いのまま突き進め。

両方とも行けばいいんだ!

科長神社 (しながじんじゃ) はもともとは二上山上に鎮座していたものが、13世紀、当地に遷座された。主祭神は科長津彦命・科長津姫命の二神。記紀に登場する風神とされる。

わたしはまず拝殿で参拝し、続いて鳥居の奥にあるちいさな流造の本殿でも柏手をうった。

そののち、小野妹子の墓へと石段をのぼっていった。

荒れ果てているな、というのが第一印象だった。

自然のまま、とも言えるわけだが。

竹内街道の果てに

竹内街道推古天皇の治世、難波宮 (なにわのみや) と飛鳥の京 (みやこ) を結ぶために整備された「大道・だいどう」を祖とする。沿道には昔のひとびとの息遣いが聞こえてきそうな古い町並みがあちらこちらにのこる。

路面にあらわに見える、マンホールのふたが少々残念な感じだ。が、それとて聖徳太子のありがたい遺徳をいまを生きるわたしたちに伝えてくれている。

わたしのクルマのタイヤは、不敬にも、そのマンホールのふたのうえをなんど通っただろうか。

今度は孝徳天皇陵に向かうつもりが、道は狭い、クルマをとめる場所はないで、おなじところをぐるぐるとまわる羽目になった。結局、すぐそばの道の駅「近つ飛鳥の里・太子」にクルマをとめて、徒歩で行くことにした。10分ほどで着くだろう。

わたしは道の駅の奥にある飛鳥橋を渡って、大道をくだっていった。 (そのときにはマンホールのふたをさけて歩いた)

陵 (みささぎ) の参拝道はけっこうな勾配で、かなりの距離があった。

足元の石は少々滑りやすく、注意して登らなくてはならない。

そして宮内庁は、別のものにも注意するよう呼び掛けていた。


うえまで登り切ったわたしは、息をととのえ顔をあげた。
木々の揺らぐかすかな音さえもせず、無音だった。
しかし、なにか規則正しい律動のようなものが迫ってくるのを感じていた。
それは古代からここにつづく山の音…。

なお、参拝道入り口のむかいには、かやぶき屋根の美しい国登録文化財・旧山本家住宅があり、一般に開放されている。

この町にはまだまだ見どころや、ぜひともひとに勧めたい観光スポットが目白押しだが、そろそろ時刻だった。また日をあらためて再訪しよう。

わたしは道の駅までもどった。

ところで、この街道の終着点は正確にはどのあたりなのか確かめたくなって、そこにある大きな案内地図に目をやった。

しかし、たとえどの道を行ったとしても、それがオトコであれオンナであれ、子供であれ、わたしであれ、ほかのだれであったとしても、すべてのヒトの行きつくさきはどうやら笑いまみれの後悔でしかない。

そう思えてきて、わたしはそこから目をそらした。