海亀とバイパスと出雲大社と

大社町で神賀詞についての講演会が開かれると聞きつけて、それならたとえ末席でもいいから、是非とも話を聞いてみたいと思った。今となっては変な話だ。でもその時は、もう居ても立っても居られなくなって、急いで家を飛び出したんだ。本当の話だ。

うそではない…。

出雲国造神賀詞

そんなわけで、クルマに飛び乗ると、新しくできた出雲バイパスを西に向かってはしった。信号が多い。きっとこんな風に言うひとがいるんだろう。これではバイパスって呼べないよな。一般道と変わらないよなと。でも、そんな風に言うもんじゃない。こいつが肩身を狭くすることはないんだ。車線を減らせたりしなくていいんだよ。役所が決めた名前だ。堂々と出雲バイパスって名乗っていればいいんだ。地図にもそう記載されているじゃないか。

うそであるはずがない。

それに、まっすぐではしりやすい道だ。なんなら出雲高速って名付けてもいいぐらいだ。でも調子に乗ってると、違反切符をちょうだいすることになる…。

わたしは国道431号線に入り、島根ワイナリーを通り過ぎた。(帰りにあそこで土産を買って帰ろう。乾杯! 安いのもありますように) 会場まであといくらの距離もない。まず大社に参拝し、それから徒歩で向かおうか。

出雲国造神賀詞(いずものこくそうかむよごと)は、8世紀から9世紀にかけて、国造が、代替わりのたびに大和へ出向いて天皇家に対して奏上した祝詞(のりと)だ。口語訳を一読しても、わたしには理解できたと言い切れないほどに難解だが、わたしが魅了されるのは、この祝詞の言葉が持つ旋律のようなもの、魂の律動のようななにかだった。

わたしは大鳥居をくぐり、参道を歩いた。

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海亀たちの行進

平日の昼間だというのに、参拝者が多い。玉砂利を踏みしめる音が境内に響きわたる。さすがに出雲大社だ。まっすぐの参道を歩いていくと、ひざまずき、両腕を天にむかってひろげている大国主命の像が見えた。そして、その先に4本の木の杭を立て、わらのロープで囲っている。玉垣ではない。なんだろうか。看板が立てられ、こう書かれていた。

 

立ち入らないでください。海亀が卵を産みました。

 

うそ…、だよね。

西に行けば、あの稲佐の浜だ。しかし1キロはあるぞ。途中には商店もあれば、住宅もある。なにより自動車道だって何本もある。ほんとうにここまで海亀がやってきたのだとしたら、それこそ建御名方神(たけみなかたのかみ)も裸足で逃げ出すだろう。

これはいったい何なんだ。

ここがもし、浦嶋子(浦島太郎)をまつった宇良神社だというのなら、ちょっとした余興とでも思えたかもしれない。しかし、これはどう理解すればいいんだ。

水路なのか…。稲佐の浜からここまで、地下水路か何かが通っているのか。いや、バイパスだよ。そうか、自動車用といっしょに、海亀用のもつくったんだと思ってすぐに、あまりのばかばかしさに失笑した。

それにしても、看板の前で立ち尽くすわたしの横を、ほかの参拝者たちは何事もないとでも言いたげに通り過ぎていく。こちらに一瞥さえくれない。なぜなんだ。なぜ誰ひとり驚かないんだ。ここ島根では、これが当たり前だというのか。海亀が自由気ままに町中を移動するようなことが。これは、わたしにはまるでティラノザウルスが市街地を闊歩していますなどといったたぐいのはなしだ。まさかあの大きな出雲ドームに恐竜を囲まっているわけでもあるまい。

わたしは参拝をおえると(宇佐神宮同様、四柏手だ)、ふたたび看板のところまで戻ってきた。

講演会の時刻が迫っていた。わたしは足早に通り過ぎた。

背後で、一匹の海亀が卵の殻を破り、玉砂利のうえをヨチヨチとわたしのあとを追いかけてきているような気がした。

わたしは叫びそうになった。おい、おまえら、なぜ気にとめないんだ。海亀だぞ。なぜ驚かないんだ。なぜなんだ。

そして、孵化したおおぜいの赤ちゃん海亀たちがわたしを追いかけ、まさにいま、わたしの背によじ登ろうとしている、そんな気配がした。

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