奴奈川姫 (ぬなかわひめ) の大車輪、得点10・00

我が家の廊下の板には、傷んでいるところが一か所ある。階段のしたあたり。そこを歩くと、かすかにキュッと音をたてる。

この五年来、わたしは帰宅してリビングに向かうとき、いつもわざわざその板を踏む。…ただいま。

ドーン!

テレビを見ていると、廊下で大きな音がした。

扉を開けると、妹だ。

大車輪からみごと着地をきめた鉄棒選手のように、膝をまげ前かがみになって両腕を横にひろげている。

階段の途中から飛んだ…、のかな。

毎朝スーツに身をつつんで有名企業にご出勤のレディーが、自宅では大車輪…。

見ないほうがいいものを見たのかな。

 

新潟紀行

左手に日本海を眺めながら、国道8号線をすすみ、新潟との県境をすぎて糸魚川にはいった。

糸魚川静岡構造線、ヒスイの産地。

やがて親不知子不知 (おやしらず・こしらず) の奇岩のなかをクルマは過ぎていった。大分県耶馬渓にそっくりなながめだ。わたしには、岩の多い景勝地はどこもおなじに見えてしまう。

ただ明らかに違うのは、糸魚川には美しい海があることだった。

青い海、どこまでも広がる水平線。そこに青空が接続すると、海と空の境はあいまいになって、視界は他には何もない、ただ単色の青になる。

神代のころ、奴奈川姫 (ぬなかわひめ) もこの風景を見ていたのだ。

大国主の妻問い。

これが冬、豪雪のころには眺めが一変する。

すこし郊外に出ると、まばらな家屋は雪に覆われ、その輪郭さえ吹きすさぶ雪が見えなくして、そこにどんよりとした雪雲が覆いかぶさって、今度は一面、白一色の世界になる。

クルマですすむには、最徐行以外にない。

どこに側溝があるのか、ガードレールがあるのかわからず、道がまっすぐなのか、カーブしているのかさえわからないで、ただ慎重に、夏の記憶を頼りにいくしかない。

漆黒は美しい

上越市内でひと眠りして、食事をとったあと、さてどこをどうはしったのか。

とにかく北を目指していた。

南魚沼市」という標識が見えた。わたしはさらに山のなかをすすんでいった。

深夜、日付はとうに変わっていた。

行けども行けども、ヘッドライトが漆黒を切りさくばかりだった。

夜は暗い、とその時までわたしは思っていた。しかし違うのだ。夜は黒い。

いっさい照明などない山のなか、月明かり、星明りもさえ鬱蒼としげる木々にさえぎられてとどかぬそこは、まさに漆黒あるのみだった。

もしもいま、クルマをとめてライトを消したなら…。

わたしはたちまちのうちに漆黒に飲み込まれて、同化していたに違いない。

新潟県の県旗がどのようなものか、わたしは知らないが、青、白、黒の三色旗こそふさわしい。

帰宅して

わたしは今日も、明日も、あさってもあの板を踏もう。

我が家の奴奈川姫はもう帰っているのだろうか。

こんどはこのアニが、みごと大車輪を決めてみせるさ。



 

北緯34度47分、東経135度71分に祈りを

7日前、葛城坐火雷神社 (かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ) に参拝した時のようすをしるしたブログを投稿した。そこがいまや鬼滅の刃の聖地と目されていて、多くの若者たちが訪れていること。火雷大神 (ほのいかづちのおおかみ) と天香山命 (あめのかぐやまのみこと) の二神をおまつりしていること。境内には日露戦争当時のロシア製の大砲がおかれていることなどを、つたない文章で紹介した。

そして次の日の朝、OTSHOKOPAN (id:ot_nail) 様より、それに関してブックマークコメントを頂戴した。

 

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わたしはいったいなにを忘れているのだろう

同氏のコメントはロシア製の大砲について触れたのち、こう続いていた。

 今だからこそ、過去を省みるため、平和を祈るためのオブジェとして役立ちそうです。

わたしはそれを読んで、わが意を得たり、と膝を打ったのではなかった。なにやら痛いところをつかれたと言おうか、なにかを言い忘れていたと言おうか、なんとも名状しがたい気持ちになった。

この気持ちは、なんなんだろう。

この7日間、わたしはずっと自分のこころの内を探っていた。

わたしはなにを痛いと感じ、なにを忘れているのだろう…。

わたしは葛城坐火雷神社に詣でる数日前に行った高天彦神社のことが、妙にひっかかっていたのだ。

ふたつの神社はクルマで15分あまり。

山麓線は葛城市を過ぎ御所市にはいると、急なのぼり勾配がしばらくつづいていく。クルマのフロントガラス越しに空を眺めながらすすんでいくと、天へ、天へと駆けのぼっているような錯覚にとらわれる。

主祭神タカミムスビノカミ。

しかし元々は社殿背後にそびえる白雲峰 (標高 694メートル) を崇めていたことだろう。

ここを訪ねるのは、三度目だろうか、四度目になるのだろうか。

参拝のあとは、きまって土蜘蛛塚に頭 (こうべ) をたれることにしている。

しかし今回、神社の周辺を歩き回ったが、塚を見つけることができなかった。

神社のすぐそばにあったはずなのだが、思い出せない。

ただ無骨な岩が置かれただけの、土蜘蛛の墓。それと気づくヒトがいないと困るから、とでも言うかのように土蜘蛛塚と彫られたちいさな石碑がわきに立っていたはずだ…。

最近、どうにも物忘れがひどくなってきた。

歩き回るうちに、塚のかわりに水車を見つけた。

以前にはなかったものだ。

何が起きようとも、水車の回るごとぐ時は流れていく。

土蜘蛛たちのあとに

土蜘蛛、まつろわぬ人々。いまを生きるわれわれは、かれらの習俗、信仰について詳しく知るすべを持たない。かれらは追いたてられ、迫害され、いくたりかは殺され岩のしたに葬られて、あとには蔑称だけが残された。もしも大王 (おおきみ) がかれらと手をたずさえてまつりごとを行っていたなら、記紀神話はいまとは違った、どれほど豊かなものになっていただろう。

そして、それは遠い昔話ばかりだけではない。

いまも連日、新聞の一面に載っている。

ロシアとウクライナのことだ。

「土蜘蛛たちを殲滅せよ!」

「土蜘蛛たちを国境線のむこうへ押し戻せ!」

「土蜘蛛を排除せよ!」

そこに日露戦争当時のロシア製の大砲だ。

そうだ。わたしはこの前に立ち、土蜘蛛塚の前で自然とそうしていたように、ただ頭を垂れていたかったのだ。

そして、これからはどこにいようとも葛城坐火雷神社のほうを見据えて、できるかぎり祈っていこう。

いつの日にか、平和の号砲が鳴り響くことを願おう。

北緯34度47分、東経135度71分、何時でも、そのお社のほうへ向き直り祈りを、とわたしは思った。

だれが大和三山を眺めながら鬼滅の刃を耽読するのか、葛城坐火雷神社をあとにして

赤面確実とは、こういうことを言うのだろう。

二上山葛城山山麓を南北にはしる県道30号線 (御所・香芝線、通称山麓線)の周辺には、葛城坐一言主神社、高鴨神社、高天彦神社などの名だたる古社をはじめ、多くの古墳が点在している。また、そこからは奈良盆地を一望でき、大和三山がまるで手を伸ばせば届くのではと思わせるほど近くに見ることができる。

わたしはこの道を「祈りの道」とひそかに命名し、ひとり悦に入っていた。当地に居を移した30年近くまえのことだ。

普段の生活に、この道を利用することはなかった。

しかし、気分転換をしたいときにはふらりと家を出て、よくここをクルマでのんびりとながすのだった。

つねに同乗者のいないことはさいわいだった。

わたしはきっと小鼻を膨らませ、得意げな顔でいたことだろう。

 

曇天の葛城坐火雷神社にて

祈りの道 (もうやめておこう。山麓線、だ) からクルマでほんの数分、西へ入ったところに、葛城坐火雷神社 (かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ) はある。地元では、笛吹神社と通称されることのほうが多い。

笛吹連 (ふえふきのむらじ) の祖先神・天香山命 (あめのかぐやまのみこと) と火の神・火雷大神 (ほのいかづちのおおかみ) はもとは別々にまつられていたはずだが、現在は合祀され、主祭神二座となっている。「延喜式神名帳」にはすでに葛城坐火雷神社二座とあることから、平安時代にはすでに合祀されていたことになろうか。

以前ここを訪れたときには、名神大社にふさわしく、静謐、清明な気に満ちていたものだった。

しかし最近ではようすが変わったという。

コスチューム・プレイヤーたち

アニメ「鬼滅の刃」が人気だという。

単行本の売り上げは記録的だそうだ。海外にもファンが多いときく。

そのなかの「我妻善逸・あがつまぜんいつ」という登場人物が作中で繰り出すワザに「火雷神」というのがあるのだと、新聞の奈良県版が伝えていた。それがここの御祭神と一字違いなことから、聖地巡礼よろしく、鬼滅の刃風の衣装 (それがいったいどんな衣装だというのか、後日写真を見るまで、わたしには想像さえできなかった) を身に着けた若者たちが境内を闊歩し、さかんに記念撮影に興じているのだと。

葛城市の公式ホームページでかれらの姿を見て、わたしは唖然とした。

かつらをかぶり、薄っぺらな衣装を着ておどけたポーズをとる男の子。

拝殿に上がり、柏手を打つ若い女性たち…。

かれらの身に着けているものといえば、慎重に言葉を吟味していうならば、色鮮やかだった。

奇妙奇天烈な世界…。

しかしかれらは、なんと真剣だろう。なんて楽しそうな表情をしているのだろう。

これほど世上にぎわせている「鬼滅の刃」について、わたしはなにひとつ知らなかった。そればかりか、なんの関心さえ持てないでいた。

すっかり好奇心さえなくしたことが歯がゆく、わたしは自分に腹を立てていた。

10年ぶりに訪ねたお社に「かれら」の姿はなかった。

無理もなかった。平日の午後、いまにも雨が降りだしそうな空模様だ。

境内におかれた、ロシア製の大砲が見えた。

日露戦争当時のものだという。戦利品ということになろうか。

「我妻善逸」が繰り出す「火雷神」は、この大砲よりも凄まじいのだろうか。

バッグパッカー

きょう、山麓線から眺める大和三山はどんなようすだろうか。

曇り空のせいで、はっきりとは見えないかもしれない。

そのときには、道路わきにクルマをとめようか。

そして後部座席にいつも積みっぱなしにしているリュックサックから、きのうレンタルショップで借りてきた「鬼滅の刃・1巻・2巻」を取り出して、読んでみればいい。

とんだバッグパッカーなんだ。

人生の贈り物。春、持田神社でいただいたもの

冬の持田神社は美しい。ソフトビジネスパークから西にのびる農免農道でクルマをとめて、うっすらと雪をかぶったその姿を初めて見たとき、わたしは身じろぎもせず、しばらくの間、見入っていた。鳥居がまるで神域への入り口のように、ぽっかりと口を開けているかのようだった。うしろには鎮守の杜。手前の建物には日章旗が掲げられていた。きょうは旗日だったか。まわりも同じく雪に覆われたなかで、お社のすがたは際立って鮮明だった。まるで一枚のはかない水墨画のように思われた。

しかし島根県松江市にあるそこを再訪したのは、春、草木のめぶく頃だった。

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持田神社を再訪して

参拝者用の駐車場にクルマをとめた。一礼して鳥居をくぐる。左手にある手水舎の水はとめられていた。このウイルス騒ぎ以降、多くの神社でこうなっている。

わたしは衣服を整え、両方のてのひらで交互に上着をはたいて身を清めたつもりになって、拝殿で参拝した。

なにかを願ったわけではなかった。祈るようなこともなかった。

ただ無心に手を合わせて参拝をおえると、左手にある摂社にも、おなじようにまいった。

その前には、小さな石像が数体置かれていた。東照宮の見ざる聞かざる言わざるにすこしにている。石の表面の状態から、相当ふるいものだと見て取れた。わたしはかがみこんでそのちいさな頭を撫でた。頭のない像もいたが、それは欠損なのか、頭痛に御利益(ごりやく)ということに関連してそうなのかはわからなかった。わたしはながいあいだそうしていた。冬に訪れたときと同様に…。

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神様の贈り物

春の陽気に誘われたのかもしれない。

わたしは本殿の裏手の杜(もり)のなかに進んでいった。薄茶色の作業着風の身なりの男性が地面にかがみこんでいる。いったいなにをしているのだろう。

「こんにちは」わたしは話しかけた。

そのヒトは顔をあげた。わたしよりもかなり年長に見受けられた。「たけのこはお好きですか」

見ると、薄いプラスチックの箱に、土のついたたけのこが整然と並べられている。たけのこを採っておられたのだ。ここ(神社)のヒトなのだろう。

「ええ、大好きですよ。でも、こんな自然のたけのこを見たのははじめてです」

「あなたの足元にもありますが!」

わたしの靴先すぐのところに、地面からわずか数センチの突起があたまをのぞかせている。わたしは思わず足を引いた。そのヒトは手際よく掘り出すと、軍手をはめた手で土をぬぐった。

「ひとつ、さしあげましょう」

わたしは神社を後にした。

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わたしは嬉しかった。いつまでもニコニコと顔をくずしていたことだろう。なんの屈託もない会話をかわすのも久しぶりに思えたし、ヒトの好意に気付かされるのもそうだった。

助手席に置かれたたけのこが大きな幸運のしるしに思われて、わたしはながい時間、それを撫でていた。

琴引山で大国主の御琴を聞いた、騒擾(そうじょう)を止めるもの、平和の琴の音

琴の音を最後に生で聞いたのは、もう半世紀近く前のことになろうか。

親戚の家で、いとこの女の子たちが、ハレの日にはよく座敷で琴を弾いていたものだ。そう、女の子…。趣味のいい調度品、高価な掛け軸、手入れの行き届いた中庭。琴というと、いまでは和服に身を包んだ上品な女性が優雅にかなでるものといったイメージだ。かしこまって、静かに耳を傾ける…。

では、むかしのひとはどうだったろう。

孔子柿本人麻呂もたしなんだという琴について、平安人はどう思っていたのだろう。実際に琴の音を耳にした貴族階級のひとたちは、なんと感じたのだろう。

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琴引山の大国主

広島を出発して国道54号線を北にむかっていた。最後まで進めば、右側目前に宍道湖を見ることになる。

島根県との県境を越えるころには、どこまでも続く深い山々の眺めにもすっかり慣れてきていた。長々と続くかわり映えのしない風景のなか、すでに飯南町に至っているはずなのに、はたしてここのどこが琴引山なのか見当がつかずに、わたしは途方に暮れかけていた。

出雲国風土記は、琴引山の峰にある窟(いわや)に、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ・大国主命)の御琴がおさめられているという。たんなる伝承にしては記述が具体的だ。長さ七尺、広さ三尺、厚さ一尺五寸ありとある。それは、根の国から大国主命スセリビメを連れ出すときにいっしょに持ち出したという、あの琴なのだろうか。琴が木に触れて大きな音をたて、目を覚ましたスサノオ黄泉比良坂(伊賦夜坂)まで追いかけられたというあの琴…。イザナギが駆けたあの坂道を、こんどは大国主がはしる。

黄泉比良坂(伊賦夜坂)については、まえに「人生の円環、勝者なき……」で触れた。

 

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わたしは琴引山(標高1,014メートル)山頂近くにある琴弾山神社に参拝するつもりだった。

頓原(とんばら)ラムネ銀泉

わたしは脇道にはいり、クルマで坂道をのぼっていった。

まだ青々とした稲が尖った葉先を空に向けている。

すると見覚えのあるちいさな建物が見えた。

「頓原天然炭酸温泉・ラムネ銀泉」は、その名の通り、豊富に炭酸を含んだ天然温泉だ。

以前、はじめてここに来た時には、山の中にぽつんと、まだ建って間もないようなきれいな温泉施設をたまたま見つけて、ずいぶんと感激したものだ。

素通りは、ありえなかった。

なかに入ると、販売コーナーに並べられた、色鮮やかな、いかにも瑞々しげな野菜が出迎えてくれた。そしてここでしか飲めないであろうラムネ「頓原の銀泉」

わたしは服を脱ぎ、とびらをあけた。

驚いたのなんの、思わずあとずさりそうになった。

湯船の湯が濃緑色をしていた。ほとんど黒に近い。

記憶違いなのか、透明ではなかったか。

わたしのあまりにいぶかしがった表情を見て取ったのか、肩まで浸かってほんのり顔を上気させたオトコが話しかけてきた。

「ここの湯はさあ、日によって色が違うんだよ。緑、黄緑、オレンジ、黄色。いろいろとね。天然温泉ならではさ。大自然の神秘ってやつだね。わたしみたいにひと月も通えば、全部の色を体験できるさ。」

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騒擾(そうじょう)の琴の音

思うさま湯を堪能したあとで建物を出た。ずいぶんと影が長くなっている。そんなになが湯したのか。きもちのいい温泉だった。

さて、急いで仕切りなおしだ。琴弾山神社に向かおう。

わたしは湯冷ましのつもりで、ほんの数分、歩いて坂をくだっていき、立ち止まった。

音はなく、風がそよぐこともなかった。

鳥は鳴かず、虫の羽音さえ聞こえない。

眼下に国道が小さく見えていた。

無音だった。ほかに人影はなかった。

何もないところに、わたしは至っていた。

もうすぐだ、とわたしは思った。

右のてのひらをじっとみて、ゆっくりと、空に向かって腕を上げた。

もう、準備はできている。もうすぐだ。

わたしは耳を澄ませて、琴の音がするのを待った。

眠り込んでいたスサノオを起こすほどの騒がしい音をたてる琴の音。もしその音がしたならば、いま起きている、ありとあらゆることをたちまちのうちに止められるのではないか。いま世界中を覆っているこのウイルス騒ぎも、欧州で起きている面子ばかりの遠慮がちな戦争も、飢餓も、クーデターも、不正な会計操作も、この星の温暖化までも…。

もうすぐだ。

たとえ耳の鼓膜が破れようとも、わたしはしっかり聞きたいと願った。

琴引山でつま弾かれる、大国主の騒擾の琴の音を。

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※追記、

箏(そう)と琴(きん)のちがいについて。

箏と琴は違うものです。柱(じ)のないものが琴。あるものが箏になります。大国主の御琴は琴。時代背景からして、おそらくは七弦琴。わたしが親戚の家で目にし、また今現在世間でひろく「お琴」と認識されているものは、実は箏になります。大国主の御琴のほうは、座って腿の上において演奏する、ラップスティールギターのようなものを思い起こしていただけたらよいかと思います。しかし、ここではわかりやすさを第一に考え、すべて琴で統一しました。何卒、ご理解を賜りたいと思います。

午後、生駒神社で見えたもの。絶頂の焔(ほのお)、秋祭り、甘南備、既視感、その他…。

休日の午後、ぽっかりと時間があいた。

スーパーの買い出しからもどってきたのが正午過ぎ、歯医者の予約は夕方の6時だった。歯医者にはもう1年も通っているが、まだまだ終わりそうにない。

すべては、このウイルス騒ぎのせいだ。

前歯が抜けた。これまでなら、見苦しいのですぐに治療をしたものだ。でも、急ぐことはないさ、マスクが隠してくれる。

やばい、寝過ごした。歯磨きなんてはぶいて、すぐに着替えて家を飛び出せ。口臭なんて気にするな。マスクをしてるじゃないか。ばれないさ。

そうして気づいたときには、あちらの歯もこちらの歯も抜けてしまい、いよいよものも噛めなくなって、すっかりしょげかえり、もうどうしようもなくなって、泣く泣く歯医者の門をたたいた。

そんなわけで、夕方には歯医者にいかなければならなかった。

これがなければ、はんにちの自由を手にしていたのだ。

しかし5時間少々で、一体何ができるだろう。

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春の生駒神社へ

生駒神社(往馬大社、往馬坐伊古麻都比古神社)は奈良県の西部、生駒市にある。

もとより生駒山(標高642メートル)を御神体としてあがめていたはずだが、その山は、山頂付近にテレビ局の電波塔等が立ち並び、いまは、甘南備の面影をとどめていない。

創建当時の御祭神は伊古麻都比古、伊古麻都比賣の二神。その後、武家の興隆にともなって八幡神五神を春日造の本殿に合祀し、現在に至っている。

鎮守の杜は奈良県の天然記念物に指定されている。

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自宅から生駒神社まで30分あまり。これほど近いというのに、生まれ故郷の生駒の地に、ここを離れて以来、いちども行くことがなかった。

生駒神社は火祭りで名高い。

火は木のくぼみにやはり木の棒をこすりつけておこすことから、男女の和合の暗喩として説明されることが多い。当社の祭りがどうなのか、わたしは寡聞にして知らない。わたしの知る生駒の火祭りは、にぎやかに露店の並んだ、子供のころのわくわくした思い出でしかない。

ひさしぶりに訪れたお社は、ひろい駐車場が整備されていた。まだきれいな舗装の状態からみて、それほど以前のことではないのだろう。大型バスのスペースもあるが、この細い道を通ってくるのは大変だろう。

それ以外、変わるところはなかった。

鎮守の杜で見たもの

長い石段をのぼり、参拝をおえると、わたしは右手に回り、鎮守の杜をくだっていった。

木漏れ日が降り注ぐ。

わたしは立ち止った。

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これは以前に見たことがあるぞ。

子供のころだろうか。いや、違う。あのときは小遣いの硬貨を握りしめ、露店を巡ったにすぎない。ここにまで踏み入ることはなかったはずだ。ではいったい…。

わたしはあたりを見まわした。

ああ、これは春日大社だよ。

大社のまわりにひろがる春日山原始林。大きさこそ違えど、あそこの風景にうりふたつなんだ。ここが春日造だからでもあるまいが。

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わたしは家路についた。

国道168号線をクルマではしった。散り始めた桜並木の向こうに竜田川がながれている。こころが休まる、穏やかなながめだった。

いつか遠い将来、川沿いの穏やかな風景に出会ったとき、これはむかし見た竜田川の眺めにそっくりだと思うのだろうか。

わたしはじぶんのこころが揺らぐのを感じた。

今見ているこの眺めは、ほんとうに今のものなのだろうか。

いましがた見た、鎮守の杜はどうだ。

ほんとうに春日山原始林に似ていたのか。そもそも、春日山のことなど、わたしははっきりと覚えているのか…。

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竜田大橋を過ぎるころ、カンカンとけたたましい音を立てて、消防車が何台もわたしの横を通り過ぎて行った。クルマのなかに、焦げ臭いにおいが流れ込んできた。

どこかで火の手があがったのだろう。

小さな旅のはなし

家を出て、川沿いの桜並木を眺めながらのんびりと歩いてみた。

そこにいたるわずか10分ほどの間にも、途中にタバコ休憩をはさむ。

なにも急ぐことはない。それに、わたしにとって気負いなく出かけられるのは、いまはまだこの辺りくらいなものだ。

雑踏にまぎれるのは気が進まない。

この二年間、わたしたちはいつも伏し目がちになり、それを気取(けど)られぬためでもなかろうが、大きなマスクをつけて顔の半分を隠してすごしてきた。

疑心暗鬼、沈黙、楽観、噂話…。

わたしたちが恐れるのは、ウイルスばかりではないようだ。

 

満開の桜の下で

すぐそばの児童公園で、散る桜の花びらを受けながら弁当をひろげる家族連れ。かれらが笑顔でいてくれたのが、わたしにはたまらなくうれしかった。

どの木も見事な枝ぶりで、まわりに日陰をくれている。

重く垂れさがり、川面(かわも)に届こうとしている枝が何本もあった。

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小さな子供を連れた若い母親。その子が落ちた花びらを拾い集めるのを、目を細めて見守っている。

無言で写真を撮り続ける若者。かれは半ズボンすがただった。いくらなんでも、何故だろう。

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この桜並木の下には、なにか、わたしが欲しかったものが確かにあったような気がする。

それが正解なのか、何であるのか、わたしには知る由もなかった。

顕宗天皇陵をのぞんで

桜並木の途切れるころ、バイパスの向こうに見える顕宗天皇陵に、人影はなかった。

敷き詰められた玉砂利が、陽だまりを受けるばかりで、静まり返っていた。

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御陵(みささぎ)のうえには、小さな雲が浮かんでいた。

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いま、わたしのこころを慰めてくれるのは、そして自信に満ちて語れるのは、こんな小さな旅のはなし。