人生の贈り物。春、持田神社でいただいたもの

冬の持田神社は美しい。ソフトビジネスパークから西にのびる農免農道でクルマをとめて、うっすらと雪をかぶったその姿を初めて見たとき、わたしは身じろぎもせず、しばらくの間、見入っていた。鳥居がまるで神域への入り口のように、ぽっかりと口を開けているかのようだった。うしろには鎮守の杜。手前の建物には日章旗が掲げられていた。きょうは旗日だったか。まわりも同じく雪に覆われたなかで、お社のすがたは際立って鮮明だった。まるで一枚のはかない水墨画のように思われた。

しかし島根県松江市にあるそこを再訪したのは、春、草木のめぶく頃だった。

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持田神社を再訪して

参拝者用の駐車場にクルマをとめた。一礼して鳥居をくぐる。左手にある手水舎の水はとめられていた。このウイルス騒ぎ以降、多くの神社でこうなっている。

わたしは衣服を整え、両方のてのひらで交互に上着をはたいて身を清めたつもりになって、拝殿で参拝した。

なにかを願ったわけではなかった。祈るようなこともなかった。

ただ無心に手を合わせて参拝をおえると、左手にある摂社にも、おなじようにまいった。

その前には、小さな石像が数体置かれていた。東照宮の見ざる聞かざる言わざるにすこしにている。石の表面の状態から、相当ふるいものだと見て取れた。わたしはかがみこんでそのちいさな頭を撫でた。頭のない像もいたが、それは欠損なのか、頭痛に御利益(ごりやく)ということに関連してそうなのかはわからなかった。わたしはながいあいだそうしていた。冬に訪れたときと同様に…。

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神様の贈り物

春の陽気に誘われたのかもしれない。

わたしは本殿の裏手の杜(もり)のなかに進んでいった。薄茶色の作業着風の身なりの男性が地面にかがみこんでいる。いったいなにをしているのだろう。

「こんにちは」わたしは話しかけた。

そのヒトは顔をあげた。わたしよりもかなり年長に見受けられた。「たけのこはお好きですか」

見ると、薄いプラスチックの箱に、土のついたたけのこが整然と並べられている。たけのこを採っておられたのだ。ここ(神社)のヒトなのだろう。

「ええ、大好きですよ。でも、こんな自然のたけのこを見たのははじめてです」

「あなたの足元にもありますが!」

わたしの靴先すぐのところに、地面からわずか数センチの突起があたまをのぞかせている。わたしは思わず足を引いた。そのヒトは手際よく掘り出すと、軍手をはめた手で土をぬぐった。

「ひとつ、さしあげましょう」

わたしは神社を後にした。

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わたしは嬉しかった。いつまでもニコニコと顔をくずしていたことだろう。なんの屈託もない会話をかわすのも久しぶりに思えたし、ヒトの好意に気付かされるのもそうだった。

助手席に置かれたたけのこが大きな幸運のしるしに思われて、わたしはながい時間、それを撫でていた。