美保関町の思い出。美保神社を中心に、北浦海水浴、関の五本松

春の夜(よ)におぼろに浮かぶ三日月のようだ、美保の港は。

大国主命少彦名命と出会った御大之御前(ミホノミサキ・美保の岬)とは、いずれここから遠くはないのだろう。

植物でできた船に乗り、剥いだ鳥の皮をかぶった小さな神様…。名を問われても答えることさえできない少彦名命は、記紀ではそんな奇抜でどこか妖怪じみた風貌の神様として描かれている。

右手に海を見やりながら、わたしは東にクルマをはしらせていた。スピードを落とし、細い曲がりくねった道をぬけると、いっきに視界がひらけ、日の光をいっぱいに浴びた港が見えた。小さな船がたくさんとまっている。道沿いには、釣り客相手だろうか、旅館が立ち並んでいた。

そんな美保関漁港を見守るように、美保神社はたっている。

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1.  往路

島根半島の東端に位置する美保神社に参拝するのに、最寄りの鉄道の駅から徒歩でとはいかない。

境港駅松江駅からならバスに乗り換える必要がある。タクシーもいいだろう。しかし、さきに記したわたしのように自家用車を運転していかれるひとも多いだろう。

境水道大橋をこえて県道2号線に入り、そのまま海沿いを東に向かってはしる。

途中、海上に突き出た夫婦岩(めおといわ・男女に見立てた二つの岩に注連縄が渡されている)を過ぎたあたりから、なにか日常を離れた厳粛な気分になる。まるでもう、美保神社の境内をすすんでいるかのような。

そして漁港が見えてきたなら、右手にある美保関観光無料駐車場にクルマをとめることができる。

2.露店

駐車場から鳥居までの短い距離のあいだに、何軒か露店がならんでいる。祭りでもないのにめずらしいことだ。そしてかならず声が飛んでくる。「いかがですか」

わたしは10回ほど参拝したが、声をかけられなかったことはいちどもない。

そして、いつもまっすぐ前を見て早足で通り過ぎていたのだが、すこし後悔している。

いま、自宅の本棚を見ても美保神社の由緒書もなければ、関連する書籍も見当たらない。やはり旅の思い出のために、ちょっとした土産物は必要かもしれない。

3.御祭神

三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)をまつる。これはよく言われているように、記紀神話の影響だろう。これでは大国主命を挟んで義理の母子をまつっていることになる。それが変だというのではないが、そのまえは、やはり出雲国風土記にあるように、御穂須須美命(みほすすみのみこと)一神をまつっていたのだろう。

わたしたちは、ただ御祭神にのみ祈るのではない。

神社の周りの自然にも同様の畏怖の念を抱く。

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4.  美保造

二つの本殿が、つながってたてられている。

向かって右側に三穂津姫命、左に事代主神をそれぞれまつっている、美保造(みほづくり)と呼ばれるめずらしい様式だが、拝殿はひとつなので、漫然と参拝していたのではそれに気付くことはなく、大社造に見えてしまう。

5.周辺案内

青石畳通りには立ち寄りたい。

150メートルほど続く石畳の細い道の両側に、古い日本家屋が並んでいる。往時、北前船の寄港地として栄えた財力が偲ばれる。雨に打たれると、石畳が青く瑠璃色に光ることからこの名がついた。

五本松公園もおすすめだ。

美保神社に近づく頃、左手に廃れたリフトの乗り場跡が見えるので、このうえに何かがあるのだといやおうなしに知ることになる。

春、急な小高い丘を登っていくと、花をつけた5000本ともいわれるつつじが出迎えてくれる。思わず息をのみ、あしの疲れもどこかへ吹き飛ぶこと請け合いだ。わたしがここを初めて訪れたのは真夏だったが、上からの眺望だけでも、美しいの一言に尽きた。

五本松とは、民謡、関の五本松でうたわれたあの五本松のこと。初代の五本松は今はなく、それを模したモニュメントが丘の上にたっている。

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6.  帰路

参拝を終えたわたしは、いま来た道をもどっていった。ただし、境水道大橋を渡らずに、国道485号線に入り、日本海に向かって北上して七類港に出た。そのままフェリーに乗って隠岐の島まで行けば、ずいぶんと旅の奥行きが増しただろう。

しかし、わたしは別の場所を目指していた。

クルマの助手席に放り込んだカバンに、自宅のクローゼットの奥から見つけだした思いがけないものを詰め込んでいた。

わたしは県道37号線(松江鹿島美保関線という長い名前)を海沿いに西へとすすみ、北浦でクルマをとめた。美保関町北浦、ここの北浦海水浴場が目的地だった。

手書きの看板が目に入った。

『駐車場、一台500円』

いったい何の冗談だろう。これは駐車場とは名ばかりの、でこぼこのただの空き地ではないか。美保神社前の駐車場は無料だったぞ。しかもあちらはちゃんと舗装してある。あまりのばかばかしさに帰ろうとしたとき、北浦の海が見えた。

ああ!…ああ!とわたしは心の中で声を漏らした。5000円でもだしますとも!

そして簡易更衣室に飛び込むと、カバンからいそいそと高校時代の黒いスクール水着を取り出した。

こんなものが部屋から出てきたというのは、海へ行きなさいという啓示にほかならない。自然に溶け込み、一体となって、思うさまこころを開放させなさいと。そうすればわたしは……、おお!…おお!まだちゃんと穿けるよ。すごいよ、これ。がんがん伸びるよ。

わたしは一直線に海へと走り出した。

 

7. ふたたび北浦海水浴場のこと

しばらくして、泳ぎ疲れたわたしは浅瀬で立ち上がった。

まるでビキニパンツのように変わり果てたスクール水着が、からだにめり込んでいた。そのうえに突き出た腹がのっている。

無理もなっかた。

高校生のころ60キロだった体重が、その当時、すでに80キロに近づいていた。

恥ずかしさのあまり、わたしは急いで首から下を海水に隠した。

そんな妖怪じみた風体の中年男が、首だけを海から出して身じろぎもしない。変質者以外のなにものにも見えなかったことだろう。周りの人たちは、きっと、こうたずねたかったに違いない。

「どこから来られたんですか」

「おひとりですか」

「おい、さっきからなにをジロジロ見てるんだ」

「名前を言いなさい」

もしなにかをきかれても、絶対にわたしは一言も答えられなかった。

わたしは、遠く東のほうを見た。

どこまでも海と山があるばかりで、ほかにはなにも見えなかった…。

美保の岬は遠い。

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   万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影   

人生の円環、勝者なきトラックレースで笑うものとは、伊賦夜坂(いふやざか)の周回遅れランナー

夫婦愛などというと、ずいぶんと古めかしい言葉に聞こえて、特に若い人などはそういわれると苦笑して斜めに構えてしまう。わたしのような年配者でも照れてしまうのだから、さもありなんだ。しかしイザナギイザナミの夫婦神のことを想うとき、わたしはいつもこの言葉が頭をよぎる。イザナミが黄泉の国へと旅立って以降のエピソードでは、とくにそうだ。

何故なのかは自分でもわからない。

それは御存知のように、壮絶な夫婦喧嘩の話、あるいは永遠 (とわ) の夫婦別れの話であるわけだから。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

黄泉の国へ

火の神・カグツチを産んだときの火傷がもとで、イザナミは黄泉の国 (根の国・死者の国) へと旅立ってしまう。残されたイザナギは嘆き悲しんでそのあとを追い、どうか戻って来てほしいと必死に訴えた。

「わたしは、もうこの国の食べ物を一度口にしたので、もとの国には戻れません。でも、何とかなるかどうか、この国の神に相談してみましょう。ただ、わたしが戻ってくるまでのあいだ、決してこちらを覗かないでください」

イザナミは黄泉の国の御殿の中から、そう言い残した。

しかしあまりにも時間がたって、不安になったイザナギは御殿の戸を開けて、中を覗いてしまう。そしてそこで目にしたのは、体じゅうにウジがわいた、醜悪で変わり果てた妻の姿だった。

「よくもわたしに恥をかかせたな!」

激昂するイザナミのもとから、驚いて逃げ出すイザナギ。しかし、現世と死者の国との境にある黄泉比良坂 (よもつひらさか) で、いよいよ追いつかれそうになると、千引岩 (ちびきいわ・千人がかりでないと動かせないほどの大きな岩) で坂を塞いでしまう。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

「愛しい夫よ。あなたがこんなことをするのなら、わたしはあなたの国のひとを一日に千人、絞め殺しましょう」

「愛しい妻よ。あなたがそんなことをするのなら、わたしは一日に千五百の産屋を建てましょう」

伊賦夜坂の夜

島根県松江市東出雲町にある揖夜神社 (いやじんじゃ) はイザナミノミコトを主祭神としてまつる古社だ。

冬、日暮れ間際のころ、初めてここを詣でたわたしはたまらなく黄泉比良坂に行ってみたくなった。古事記に黄泉比良坂とは出雲国の伊賦夜坂のことである、と記されたそこは、クルマでわずか10分足らずのところにある。

わたしはそこで、力のかぎり走りたくなったのだ。息ができなくなるまで。

イザナギが命からがら逃げかえった伊賦夜坂を力のかぎり走る!

わたしはこの思いつきに夢中になった。
国道9号線をまたぐと、すぐだった。現地に駐車場が整備されていることは意外だった。もっとも5台分程ではあったのだが。

わたしはクルマをおりて、坂道を上っていった。

道の両側に細い二本の石柱が立てられ、注連縄が渡されている。それをくぐると、右手に石碑が見えた。すでにすっかり暗くなって、文字は読めなかったが、そこには「黄泉比良坂・伊賦夜坂伝説地」と刻まれているはずだった。

わたしは立ち尽くしていた。

自分はいつレースをおりたんだろう。いつから走らなくなったのか。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

ものごころがつくやつかずの、まだほんの坊やだった頃には、まわりに大勢の仲間がいた。今から何が起こるのか見当もつかないまま、みなでからだを寄せ合い、緊張してスタートの号砲が鳴るのを待っていた。
わたしたちはいっせいに駆け出した。

やがて口で苦しそうに息をする、ハアハアという音があちこちから聞こえてきた。汗のにおいがした。そのうちに「足を踏まれた」だの「背中を押された」だのと言い出すものがあらわれた。ほんとうに転倒する子もいた。わたしは、ちらと見やったが、手を差し伸べることはしなかった。

何周走った頃だろうか、運動好きのクラスメートがひとりでどんどん飛ばしだした。差は見る見る開いていった。「あいつばかだよ」わたしのすぐ前で声がした。「あんなことしたらすぐにバテるさ。すぐに倒れるぜ。棄権が関の山さ。じきに白目をむいて仰向きに倒れたあいつを見ることになるよ」しかしその後、かれの姿を見ることはついぞなかった。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

そんな風にして、次々と仲間たちが抜け出していった。そのうちに、長い間見えていた前を走る人の背中も、いつしか見えなくなっていた。

気がつけば、他にはだれもいない。

わたしはたったひとりで、このトラックをのんびりとマイペースで走っている。

最近、ふと思うことがある。ひょっとして自分は勝ったのではないか。自分が先頭なんではないのかと。

たしかにいま、わたしは時代の先頭に立っている。周回遅れで。

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万葉人形劇シアター建設着工のお知らせ、58歳ドールハウス製作にいそしむ

すこし前から右目がかすむ。ある日、ライターの火にタバコの先端をうまくあわせられなくて、あれ、と思った。片目ずつ閉じてみると、右目がうまく見えていない。白い幕がかかったように濁って見えている。そのうちに元に戻るかもしれないという勝手な期待から、しばらくの間、目に負担をかけているであろうパソコンとスマホを遠ざけて過ごしていたが、いっこうによくならない。次の休みには眼医者に行こうと思う。

そんなこんなで、ブログの更新からはしばらく遠ざかっていたが、おかげで自分のブログについて、色々と考える時間を得ることができた。

旅ながらの日々について

はじめに、わたしは全国の神社を紹介するサイトのようなものを作りたいと考えていたのだが、自分の技量不足からたちまちに断念してしまった。

そこで、各地の神社をたずねた思い出を旅行記風にまとめてみることを思い立ち、このブログをはじめたわけだ。

そうして二、三記事投稿したある日、パソコンを見ていて、「たびながら」という旅行ブログがフェイスブック上で運営されているのを見つけた。怒髪天を衝く、とはまさにあのときのことだ。震えながら見てみる。美しいたくさんの旅先での写真、饒舌にはしりすぎない簡潔な文章。そのどれもが、旅への憧憬にあふれていた。茫然としてさらによく見てみると、ずいぶんと前からはじめられ、継続して続いており、多くのファンにささえられているのが分かった。あのときのわたしの怒りは「たびながら」さんの怒りであったわけだ! 穴があったら入りたい、とはまさにあのときのこと…。もっとも、先方がこちらに気づいている可能性なぞ、ほぼ皆無なわけだが。

以来、いちども「たびながら」をこわくて (申し訳なくて、だ) 見ていない。しかし、ますますもってご盛運であろうと思う。

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ブログコミュニケーションについて

以前、島根県松江市で暮らしていた。その六年間、わたしは県内のみならず、多くの神社を訪ね歩いた。読む本も神道関係のものが中心になった。このブログのタイトルも大正時代の著作「神ながらの道」にインスパイアされたものだ。

不思議だった。

そこに至るまでの人生では、初詣にさえろくに行くことがなかったというのに、まるでなにかに憑かれたように、なにかに急き立てられるように、暇を見つけてはいつも神社に足が向いていた。そこではとくになにをするでもなく、ただ柏手を打って参拝したあとは、のんびりと境内を散策するばかりだった。あまりにいつもそうしてばかりいたせいで、会社にいる時間よりも、神社で過ごす時間のほうが長かったくらいだ (さすがにそれはウソ)。

当時のわたしには、そんなことをする理由が自分でも皆目わからなかった。しかし関西に戻り十年経ったいま、妙に腑に落ちている。あれはこのブログを始めるためにしていたことではあるまいかと。無論、そのころはそんなことはまったく意識していなかった  (そもそもブログという言葉さえ知らなかった)。しかし、見えない何かによってわたしは導かれていたのではあるまいか、そんな気がしている。

こうしてブロガー生活を始めたわたしには (自分のことを恥ずかしげもなくブロガーと名乗ってよいものだろうか。しかし後悔先に立たず。すでにナミノハナの回で過去に一度、やらかしている)、常に接し、心の支えとも思う、お気に入りのブログがいくつもある。

そのなかには、すでに多くの読者を獲得し、羨望の眼差しを集めていわゆる成功を手中にできたものもあれば、そこに至るにあとほんの一歩というものもある。そして、そこへ駆け上がるのに今からだというものもあって、さまざまだ。

しかし、僭越に僭越をかさねて申し上げるのだが、すべてのブロガー諸氏にどうか続けてくださいと、頭を低くしてお伝えしたい。

あなたが熱中し、夢中でキーボードを打って伝えようとしていること、それがたとえば歴史であれ、料理であれ、日記であれ、そして写真であれ、育児であれ、なんであったとしても、そこには、それを始めねばならなかった理由が必ずある。いまは気づかないかたもおられるかもしれない。しかし、それは来週かもしれず、来年かもしれず、あるいはわたしのように十年後かもしれないが、必ずあなたの前に立ち現れるはずだ。

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それにこのウエブ空間 (こんな表現であっているのだろうか) というやつ、エキサイティングだ。いきなり見知らぬ人たちと知遇を得、コメントを交し合う。子供のころには、こんなことは想像さえできなかった。われわれの精神は無限の拡張性を得た。とめどなく拡がる可能性が、地平線のむこうへと不可能を押しやった。いま、このことに疑義を唱えることだけが、唯一、不可能と呼ばれている。

すると、こんな声がとんできそうだ。

えっ、それに気づくの今ですか、と。

そうだ。

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万葉人形劇シアター建設宣言

旅ながらの日々に貼り付けている夫婦こけしの写真は、いつも自宅の庭で撮影していた。あまりにも手近なところで済ませていたわけだが、これがはたで思うほどお気楽ではない。

まず、雨の日は撮影できない。晴れた日の日中でも、こいつさっきからいったいなにをパシャパシャやってるんだ、などと近所の人に見られてやしないかと気になって、どうにも落ち着かない。同じ理由で、夜になどできるはずもない。

ああ、もっとたくさん、気楽に撮影することができればいいのに…。

そんな風に思い続けていたある日、わたしは パン!と膝を打ち、人差し指を立てた。そうだ、夫婦こけしのためにドールハウスを作ろう。そこでこけしたちに、思うさま劇を演じさせる。人形劇シアターだ。すばらしいアイデアだ。人形劇だ。

床面積は書斎机の八分の一程度。名称は格調高く「万葉人形劇シアター」でどうだ。大まかなイメージとしては、パルテノン神殿だ。堂々として、威厳高く、神聖さに満ちあふれている。

全体を赤く塗ろうか。それとも無塗装で木目を生かしたほうがいいだろうか。木造のパルテノンっていったいどうなんだ。天井からは、テレビ局のスタジオのようにたくさんの照明を吊り下げる。本格的だ。本格的な人形劇だ。

でも、本格的な人形劇ってどんなのなんだ。どんな旅を演じさせればいいんだ。海外旅行か。いや、それではまだ役不足だ。では…エベレストか。それとも深海か。海底二万里(ジュール・ヴェルヌ)なのか。そもそもエベレスト山頂への旅とか言うのか。それは旅ではなくて、もはや別ジャンルではないのか。

そんな様々なことを考えながらも、十日程前に、布二枚 (紺と薄茶) と細い棒一本を用意して以来、建設資材 (材料) の購入さえ進んでいない。何ひとつ進んでいないんだ。

こんなことで、ほんとうに完成するのか。

大丈夫なのか、パルテノン。

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出雲日御碕灯台が照らし出すもの

日御碕神社を染めるもの

出雲大社からくるまで15分あまり、県道29号を北に進むと朱色に塗られた見事な権現造の日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)に至る。現在の社殿は三代将軍、徳川家光の命により日光東照宮の…、

「いやあ、立派ですなあ。だいだい色、きれいわ。伏見稲荷と一緒や。」誰なんだ、行く手を阻むこのおやじ。大声で、ところかまわずに勘弁してほしい。

かかわらないで通り過ぎよう。「なあ、大将!」

つかまった。

「はあ…」

「わしな、前からここ、いっぺん来たい来たい思もてましたんや。ヨメがここえらい好きでなあ…。あっちがな、アマテラスまつってますねん。ほんでこっちがスサノオ。御存じでしたか。」

「いや……」どうしてなのだろう。なぜここで関西弁なんだ。「今日は奥さんは」

「なんかこう、身が引き締まるような気持ちになりますなあ。厳粛な気持ちって言いますんかな」

なったかもしれない。あなたがいなくてひとりきりなら。

「ご病気かなにかですか」

「いや、離婚しましてん。二年前」

「……」

「それにしてもきれいわ。だいだい色。ここ、あれですやろ。もうちょっとむこう行ったら、水平線にダーッとおひさん沈んでいくのん見れますんやろ。その夕日に染められたみたいですわな。もともと古代にはその夕日を拝んでたんですやろな。日沈の宮、言うぐらいですさかいな」

そんなわけで、わたしはいま日御碕神社にいた。

そして海岸を目指して歩いて行った。

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出雲日御碕灯台

180度ひろがる水平線が見えた。

小さな子供をつれた家族連れ、岩場に腰を下ろす恋人たち。そのうしろを海鳥がてくてくと歩く。まるで若い二人をはやし立てているみたいだ。お幸せに!そして正面には白亜の出雲日御碕灯台。さきほどの男性ならきっと、京都タワーみたいやと、大声をあげていたに違いない。

あいにくの曇天のせいで、夕日は見えなかった。しかし広がるのは見事な海。わたしの両腕いっぱいに、ただ海だけが広がっていた。立ち尽くすうちに、波の音に包まれるうちに、この海がわたしから虚栄や不安などの一切の雑味を洗い流してくれるのではないかと、そんな思いにとらわれた。裸のわたしがそこにいるはずだった。

わたしは日暮れまでそこにいた。

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あの日、出雲日御碕灯台が照らし出したわたしは、どんな風に生まれ変わったわたしだったのだろう。

海亀とバイパスと出雲大社と

大社町で神賀詞についての講演会が開かれると聞きつけて、それならたとえ末席でもいいから、是非とも話を聞いてみたいと思った。今となっては変な話だ。でもその時は、もう居ても立っても居られなくなって、急いで家を飛び出したんだ。本当の話だ。

うそではない…。

 

出雲国造神賀詞

そんなわけで、クルマに飛び乗ると、新しくできた出雲バイパスを西に向かってはしった。信号が多い。きっとこんな風に言うひとがいるんだろう。これではバイパスって呼べないよな。一般道と変わらないよなと。でも、そんな風に言うもんじゃない。こいつが肩身を狭くすることはないんだ。車線を減らせたりしなくていいんだよ。役所が決めた名前だ。堂々と出雲バイパスって名乗っていればいいんだ。地図にもそう記載されているじゃないか。

うそであるはずがない。

それに、まっすぐではしりやすい道だ。なんなら出雲高速って名付けてもいいぐらいだ。でも調子に乗ってると、違反切符をちょうだいすることになる…。

 

出雲バイパスって信号が多いの?

これは、まだ一部しか開通していなかった頃のはなしさ。ながい工事が終わって、2022年10月に出雲バイパスは完全4車線化が完了しているよ。

わたしは国道431号線に入り、島根ワイナリーを通り過ぎた。(帰りにあそこで土産を買って帰ろう。乾杯! 安いのもありますように) 会場まであといくらの距離もない。まず大社に参拝し、それから徒歩で向かおうか。

出雲国造神賀詞(いずものこくそうかむよごと)は、8世紀から9世紀にかけて、国造が、代替わりのたびに大和へ出向いて天皇家に対して奏上した祝詞(のりと)だ。口語訳を一読しても、わたしには理解できたと言い切れないほどに難解だが、わたしが魅了されるのは、この祝詞の言葉が持つ旋律のようなもの、魂の律動のようななにかだった。

わたしは大鳥居をくぐり、参道を歩いた。

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海亀たちの行進

平日の昼間だというのに、参拝者が多い。玉砂利を踏みしめる音が境内に響きわたる。さすがに出雲大社だ。まっすぐの参道を歩いていくと、ひざまずき、両腕を天にむかってひろげている大国主命の像が見えた。そして、その先に4本の木の杭を立て、わらのロープで囲っている。玉垣ではない。なんだろうか。看板が立てられ、こう書かれていた。

 

立ち入らないでください。海亀が卵を産みました。

 

うそ…、だよね。

西に行けば、あの稲佐の浜だ。しかし1キロはあるぞ。途中には商店もあれば、住宅もある。なにより自動車道だって何本もある。ほんとうにここまで海亀がやってきたのだとしたら、それこそ建御名方神(たけみなかたのかみ)も裸足で逃げ出すだろう。

これはいったい何なんだ。

ここがもし、浦嶋子(浦島太郎)をまつった宇良神社だというのなら、ちょっとした余興とでも思えたかもしれない。しかし、これはどう理解すればいいんだ。

水路なのか…。稲佐の浜からここまで、地下水路か何かが通っているのか。いや、バイパスだよ。そうか、自動車用といっしょに、海亀用のもつくったんだと思ってすぐに、あまりのばかばかしさに失笑した。

それにしても、看板の前で立ち尽くすわたしの横を、ほかの参拝者たちは何事もないとでも言いたげに通り過ぎていく。こちらに一瞥さえくれない。なぜなんだ。

これは、わたしにはまるでティラノザウルスが市街地を闊歩していますなどといったたぐいのはなしだ。

いったいなにが起きているんだ。

わたしは参拝をおえると(宇佐神宮同様、四柏手だ)、ふたたび看板のところまで戻ってきた。

講演会の時刻が迫っていた。わたしは足早に通り過ぎた。

背後で、一匹の海亀が卵の殻を破り、玉砂利のうえをヨチヨチとわたしのあとを追いかけてきているような気がした。

わたしは叫びそうになった。おい、おまえら、なぜ気にとめないんだ。海亀だぞ。なぜ驚かないんだ。なぜなんだ。

そして、孵化したおおぜいの赤ちゃん海亀たちがわたしを追いかけ、まさにいま、わたしの背によじ登ろうとしている、そんな気配がした。

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新年 あけましておめでとうございます

丹生川上神社(中社)

去年に続いて、ことしも初詣のいきさきには、ちょっとした思慮が必要だった。このウイルス騒ぎのせいだ。一の宮や総社は人出のことを考えると、どうしても足を運ぶのを躊躇してしまう。さて、どこに行こうか。大寒波を裂いてクルマをはしらせる。助手席に放り込んだのは週刊文春。原色美女図鑑は綾瀬はるかだ。これで三年連続かな。確かそう。新年合併号の巻頭を綾瀬が(呼び捨て。しかも名字だけ!)飾るのは。これを見ると、ああ、正月なんだなあと、しみじみ思ってしまう。圧倒的に美しい…。三年と言わず、どうかあと三十年はやってください。

家を出て30分もすすむと、たちまち渋滞で動かなくなった。みんな橿原神宮にむかうクルマだろう。さて、脇道にそれてみたところで、そのままの方向にすすめば、今度は大神神社だ。さらに大変なことになっているだろう。わたしはUターンして、京奈和道に入り南にむかった。

すぐに背後に巨大な影が…。新年早々あおられてるよ。赤い軽自動車なんぞにのってると、ドライバーは若い女の子とでも思われるのか、たまにこんなことが…、こら、パッシングはやめなさい! こっちは綾瀬(ふたたび呼び捨て)を乗せてんだぞ!

どうにか一般道におりて難を逃れたが、まわりは見たことのない景色だ。どうやらもう吉野らしかった。そして、ここまで来たのなら丹生川上神社・中社に行ってみようかと思った。以前、上社に参拝したおりに、いつか中社、下社と参拝して三社参りをしてみたいと思ったのだ。

下社・中社・上社と称しているが、これは元宮・上の宮・下の宮(里宮)ということではなく、もともとそれぞれ別のお社であったものが、さまざまな経緯、考証を経て、大正11年丹生川上神社・下社・中社・上社を称し、官幣大社に列せられたものだ。

もう2時間近くはしってないか。奈良と言っても広いものだ。これでは以前、和歌山県かつらぎ町の丹生都比賈神社(にうつひめじんじゃ)に行った時と、たいして変わりがないぞ。もっとも、この山系を越えたらかつらぎ町ではあるわけだが。

中社まであとすこしというところまで来たとき、ニホンオオカミの像が目に入った。生きたニホンオオカミが最後に目撃されたのは、あるいはこの辺りだったか。

そしてやっと到着した。

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すこし配慮に欠けたヒト

想像通りの美しい自然に囲まれていた。

目前を流れる清流、高見川をすこし上流に歩くと、蟻通橋のあたりで(ここ中社は中世には蟻通明神と称していた)、三本の川が合流する「夢淵」と名のついた深渕がある。一面、瑠璃色エメラルドグリーンの水をたたえたそこは、東征のおり、神武天皇が戦勝を祈念したところとも伝えられている。ちかくの小さな滝「東の滝」ともども、大地を流れる水の尽きせぬ生命力を感じさせてくれる。多くの神社では、御祭神は何度か、今風に言うと上書きされてきている。しかし、ここでは創建以来一貫して水神を祭ってきたのだろうと、容易に納得できた。

境内もまた美しかった。造営事業中のため、拝殿の大部分は工事用のシートで覆われていたが、それは別段残念なことではなかった。残念なヒトは拝殿の前にいた。

無意識のうちに、Vサインで自撮りしてしまったのだ。我々の世代、カメラを向けられると条件反射のようにVサインをする人がたくさんいる。このご時世、あちこちの施設の入り口には、体温測定用のカメラが設置されているが、わたしなどその前を通り過ぎるときにもいつもVサインだ。

ほかの参拝客たちも、こころなしか眉をひそめているような気がして、ずいぶん恥じ入ってしまった。新年の祝祭気分の中、たとえ自分のこととはいえ、あまりあしざまには言いたくないのだが、どんなに言葉を選んでも、すこし配慮に欠けた振る舞いだったかもしれない。

人前でVサインを掲げるのは、第二次世界大戦中のウィンストン・チャーチルが嚆矢になる。この苦難を跳ね返そう。我々はドイツに勝利する。Vサインは勝利(ビィクトリー)へのこころからの希求、レジスタンスの象徴であったはずだから。

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わたしは拝殿の前で柏手をうち、すべての人に心の平安が訪れますように、そして、すこし配慮に欠けたヒトにもどうか幸あれと、ミズハノメノカミにいつまでも願った。

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鹿児島 東南東の風 快晴

火山灰と雪

鹿児島に、最後に雪が降り積もったのは、いったいいつのことなのだろうか。

晴れた日に桜島を眺めるのは気持ちのいいものだ。県外者などは、ついつい荒々しいとか、男性的な、生命力に溢れたといったイメージをそこに抱きがちだ。いちめん、それは的外れではないだろう。しかし、波静かな鹿児島湾が鏡面のように空の青をうつし、ただ桜島を抱いているさまを見たものは、その優美な姿に、誰もが魂を激しく揺すられる。まわりの人たちは、おお、などと感嘆の声をあげ、さかんにシャッターを押していたが、わたしは魅入られ、茫然として立ち尽くすばかりだった。全国、景勝地は数多くあるが、どれほど美しい風景を見ても、それと似た別の場所を思いつくことは、さほど難しくはない。しかしここ桜島だけは、唯一のものだ。いまから未聞の生(せい)が始まる予感に、わたしは打ち震えた。

「あの火山灰ってどうするのかしら」

「みんなが集めたやつを自治体が回収するらしいよ。ゴミみたいに」

「へえ。燃えるゴミの日、燃えないゴミの日、プラ製リサイクルの日、空き缶の日、それと火山灰の日!」

「そんな週一とかではないでしょう。桜島が噴火した時だけだよ。不定期でしょう」

「そうなの。でもちょっとロマンティックね。雪かきみたいで」

雪かきがロマンティックだって!その会話をうしろで聞いていたわたしは、思わず声を上げそうになった。一晩で身の丈近くも降り積もる雪。あれは厄災以外の何物でもない。はやく屋根の雪をおろさなければ!うまく屋根にのぼれたとしても、うっかり足を滑らせでもすれば、命の危険さえある…。

「あら、風が吹いてきた。噴火したら、こっちに灰が飛んできちゃう。嫌ねえ。」雪かきオンナは振り返って言った。わたしと同年配の女性だった。「ねえ」

なぜ、隣にいるつれとおぼしき男性にではなく、わざわざ振り向いて、見ず知らずのわたしに同意を求めたのだろうかと、いま、しみじみ不思議に思う。あの風はわたしが吹かせた訳ではないのに。はるかむかし、この星が自転を始めたときから、絶えることなく風は吹いていた…。

「まったくですねえ」わたしは答えた。

確かに、東南東の風が吹いていた。

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東南東の風が

神代のころ、豊玉姫が朝に夕にと玉乃井で水を汲んでいた時にも、その風は井戸のまわりに吹いていた。そして、そこを訪れた彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)の肩にも、擦過するように吹き付けた。

沖永良部島で、瘦せこけた西郷公が静かに瞑想している時にも、目前をその風は吹き抜けていった。

知覧の空に、軽量の戦闘機が一機、また一機とトンボの群れのように飛び立っていったときにも、上空に風は吹いていた。悲哀と慟哭(どうこく)と…。

風は桜島の周りをぐるぐるとまわり、鹿児島市街に向かう。国道3号線を北上し、無数に分かれて、気ままにすすんでいく。山を越え、霧島神宮を過ぎて、高千穂峰に向かって風は吹いた。

永遠に生きたいと思うものがいれば、その風は笑うだろう。

風は草地にやさしく吹き、葉のうえで休んでいたカナブンの小さなからだにも吹いた。

鹿児島県庁の旗をはためかせ、肝属川のかわもを波立たせた。

そして上白石萌歌のスカートのすそをひらひらと揺らした…、はずだ。

センセーショナルだ!

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