春の夜(よ)におぼろに浮かぶ三日月のようだ、美保の港は。
大国主命が少彦名命と出会った御大之御前(ミホノミサキ・美保の岬)とは、いずれここから遠くはないのだろう。
植物でできた船に乗り、剥いだ鳥の皮をかぶった小さな神様…。名を問われても答えることさえできない少彦名命は、記紀ではそんな奇抜でどこか妖怪じみた風貌の神様として描かれている。
右手に海を見やりながら、わたしは東にクルマをはしらせていた。スピードを落とし、細い曲がりくねった道をぬけると、いっきに視界がひらけ、日の光をいっぱいに浴びた港が見えた。小さな船がたくさんとまっている。道沿いには、釣り客相手だろうか、旅館が立ち並んでいた。
そんな美保関漁港を見守るように、美保神社はたっている。
1. 往路
島根半島の東端に位置する美保神社に参拝するのに、最寄りの鉄道の駅から徒歩でとはいかない。
境港駅や松江駅からならバスに乗り換える必要がある。タクシーもいいだろう。しかし、さきに記したわたしのように自家用車を運転していかれるひとも多いだろう。
境水道大橋をこえて県道2号線に入り、そのまま海沿いを東に向かってはしる。
途中、海上に突き出た夫婦岩(めおといわ・男女に見立てた二つの岩に注連縄が渡されている)を過ぎたあたりから、なにか日常を離れた厳粛な気分になる。まるでもう、美保神社の境内をすすんでいるかのような。
そして漁港が見えてきたなら、右手にある美保関観光無料駐車場にクルマをとめることができる。
2.露店
駐車場から鳥居までの短い距離のあいだに、何軒か露店がならんでいる。祭りでもないのにめずらしいことだ。そしてかならず声が飛んでくる。「いかがですか」
わたしは10回ほど参拝したが、声をかけられなかったことはいちどもない。
そして、いつもまっすぐ前を見て早足で通り過ぎていたのだが、すこし後悔している。
いま、自宅の本棚を見ても美保神社の由緒書もなければ、関連する書籍も見当たらない。やはり旅の思い出のために、ちょっとした土産物は必要かもしれない。
3.御祭神
三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)をまつる。これはよく言われているように、記紀神話の影響だろう。これでは大国主命を挟んで義理の母子をまつっていることになる。それが変だというのではないが、そのまえは、やはり出雲国風土記にあるように、御穂須須美命(みほすすみのみこと)一神をまつっていたのだろう。
わたしたちは、ただ御祭神にのみ祈るのではない。
神社の周りの自然にも同様の畏怖の念を抱く。
4. 美保造
二つの本殿が、つながってたてられている。
向かって右側に三穂津姫命、左に事代主神をそれぞれまつっている、美保造(みほづくり)と呼ばれるめずらしい様式だが、拝殿はひとつなので、漫然と参拝していたのではそれに気付くことはなく、大社造に見えてしまう。
5.周辺案内
青石畳通りには立ち寄りたい。
150メートルほど続く石畳の細い道の両側に、古い日本家屋が並んでいる。往時、北前船の寄港地として栄えた財力が偲ばれる。雨に打たれると、石畳が青く瑠璃色に光ることからこの名がついた。
五本松公園もおすすめだ。
美保神社に近づく頃、左手に廃れたリフトの乗り場跡が見えるので、このうえに何かがあるのだといやおうなしに知ることになる。
春、急な小高い丘を登っていくと、花をつけた5000本ともいわれるつつじが出迎えてくれる。思わず息をのみ、あしの疲れもどこかへ吹き飛ぶこと請け合いだ。わたしがここを初めて訪れたのは真夏だったが、上からの眺望だけでも、美しいの一言に尽きた。
五本松とは、民謡、関の五本松でうたわれたあの五本松のこと。初代の五本松は今はなく、それを模したモニュメントが丘の上にたっている。
6. 帰路
参拝を終えたわたしは、いま来た道をもどっていった。ただし、境水道大橋を渡らずに、国道485号線に入り、日本海に向かって北上して七類港に出た。そのままフェリーに乗って隠岐の島まで行けば、ずいぶんと旅の奥行きが増しただろう。
しかし、わたしは別の場所を目指していた。
クルマの助手席に放り込んだカバンに、自宅のクローゼットの奥から見つけだした思いがけないものを詰め込んでいた。
わたしは県道37号線(松江鹿島美保関線という長い名前)を海沿いに西へとすすみ、北浦でクルマをとめた。美保関町北浦、ここの北浦海水浴場が目的地だった。
手書きの看板が目に入った。
『駐車場、一台500円』
いったい何の冗談だろう。これは駐車場とは名ばかりの、でこぼこのただの空き地ではないか。美保神社前の駐車場は無料だったぞ。しかもあちらはちゃんと舗装してある。あまりのばかばかしさに帰ろうとしたとき、北浦の海が見えた。
ああ!…ああ!とわたしは心の中で声を漏らした。5000円でもだしますとも!
そして簡易更衣室に飛び込むと、カバンからいそいそと高校時代の黒いスクール水着を取り出した。
こんなものが部屋から出てきたというのは、海へ行きなさいという啓示にほかならない。自然に溶け込み、一体となって、思うさまこころを開放させなさいと。そうすればわたしは……、おお!…おお!まだちゃんと穿けるよ。すごいよ、これ。がんがん伸びるよ。
わたしは一直線に海へと走り出した。
7. ふたたび北浦海水浴場のこと
しばらくして、泳ぎ疲れたわたしは浅瀬で立ち上がった。
まるでビキニパンツのように変わり果てたスクール水着が、からだにめり込んでいた。そのうえに突き出た腹がのっている。
無理もなっかた。
高校生のころ60キロだった体重が、その当時、すでに80キロに近づいていた。
恥ずかしさのあまり、わたしは急いで首から下を海水に隠した。
そんな妖怪じみた風体の中年男が、首だけを海から出して身じろぎもしない。変質者以外のなにものにも見えなかったことだろう。周りの人たちは、きっと、こうたずねたかったに違いない。
「どこから来られたんですか」
「おひとりですか」
「おい、さっきからなにをジロジロ見てるんだ」
「名前を言いなさい」
もしなにかをきかれても、絶対にわたしは一言も答えられなかった。
わたしは、遠く東のほうを見た。
どこまでも海と山があるばかりで、ほかにはなにも見えなかった…。
美保の岬は遠い。
万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影