7日前、葛城坐火雷神社 (かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ) に参拝した時のようすをしるしたブログを投稿した。そこがいまや鬼滅の刃の聖地と目されていて、多くの若者たちが訪れていること。火雷大神 (ほのいかづちのおおかみ) と天香山命 (あめのかぐやまのみこと) の二神をおまつりしていること。境内には日露戦争当時のロシア製の大砲がおかれていることなどを、つたない文章で紹介した。
そして次の日の朝、OTSHOKOPAN (id:ot_nail) 様より、それに関してブックマークコメントを頂戴した。
わたしはいったいなにを忘れているのだろう
同氏のコメントはロシア製の大砲について触れたのち、こう続いていた。
今だからこそ、過去を省みるため、平和を祈るためのオブジェとして役立ちそうです。
わたしはそれを読んで、わが意を得たり、と膝を打ったのではなかった。なにやら痛いところをつかれたと言おうか、なにかを言い忘れていたと言おうか、なんとも名状しがたい気持ちになった。
この気持ちは、なんなんだろう。
この7日間、わたしはずっと自分のこころの内を探っていた。
わたしはなにを痛いと感じ、なにを忘れているのだろう…。
わたしは葛城坐火雷神社に詣でる数日前に行った高天彦神社のことが、妙にひっかかっていたのだ。
ふたつの神社はクルマで15分あまり。
山麓線は葛城市を過ぎ御所市にはいると、急なのぼり勾配がしばらくつづいていく。クルマのフロントガラス越しに空を眺めながらすすんでいくと、天へ、天へと駆けのぼっているような錯覚にとらわれる。
しかし元々は社殿背後にそびえる白雲峰 (標高 694メートル) を崇めていたことだろう。
ここを訪ねるのは、三度目だろうか、四度目になるのだろうか。
参拝のあとは、きまって土蜘蛛塚に頭 (こうべ) をたれることにしている。
しかし今回、神社の周辺を歩き回ったが、塚を見つけることができなかった。
神社のすぐそばにあったはずなのだが、思い出せない。
ただ無骨な岩が置かれただけの、土蜘蛛の墓。それと気づくヒトがいないと困るから、とでも言うかのように土蜘蛛塚と彫られたちいさな石碑がわきに立っていたはずだ…。
最近、どうにも物忘れがひどくなってきた。
歩き回るうちに、塚のかわりに水車を見つけた。
以前にはなかったものだ。
何が起きようとも、水車の回るごとぐ時は流れていく。
土蜘蛛たちのあとに
土蜘蛛、まつろわぬ人々。いまを生きるわれわれは、かれらの習俗、信仰について詳しく知るすべを持たない。かれらは追いたてられ、迫害され、いくたりかは殺され岩のしたに葬られて、あとには蔑称だけが残された。もしも大王 (おおきみ) がかれらと手をたずさえてまつりごとを行っていたなら、記紀神話はいまとは違った、どれほど豊かなものになっていただろう。
そして、それは遠い昔話ばかりだけではない。
いまも連日、新聞の一面に載っている。
ロシアとウクライナのことだ。
「土蜘蛛たちを殲滅せよ!」
「土蜘蛛たちを国境線のむこうへ押し戻せ!」
「土蜘蛛を排除せよ!」
そこに日露戦争当時のロシア製の大砲だ。
そうだ。わたしはこの前に立ち、土蜘蛛塚の前で自然とそうしていたように、ただ頭を垂れていたかったのだ。
そして、これからはどこにいようとも葛城坐火雷神社のほうを見据えて、できるかぎり祈っていこう。
いつの日にか、平和の号砲が鳴り響くことを願おう。
北緯34度47分、東経135度71分、何時でも、そのお社のほうへ向き直り祈りを、とわたしは思った。