新年 あけましておめでとうございます

丹生川上神社(中社)

去年に続いて、ことしも初詣のいきさきには、ちょっとした思慮が必要だった。このウイルス騒ぎのせいだ。一の宮や総社は人出のことを考えると、どうしても足を運ぶのを躊躇してしまう。さて、どこに行こうか。大寒波を裂いてクルマをはしらせる。助手席に放り込んだのは週刊文春。原色美女図鑑は綾瀬はるかだ。これで三年連続かな。確かそう。新年合併号の巻頭を綾瀬が(呼び捨て。しかも名字だけ!)飾るのは。これを見ると、ああ、正月なんだなあと、しみじみ思ってしまう。圧倒的に美しい…。三年と言わず、どうかあと三十年はやってください。

家を出て30分もすすむと、たちまち渋滞で動かなくなった。みんな橿原神宮にむかうクルマだろう。さて、脇道にそれてみたところで、そのままの方向にすすめば、今度は大神神社だ。さらに大変なことになっているだろう。わたしはUターンして、京奈和道に入り南にむかった。

すぐに背後に巨大な影が…。新年早々あおられてるよ。赤い軽自動車なんぞにのってると、ドライバーは若い女の子とでも思われるのか、たまにこんなことが…、こら、パッシングはやめなさい! こっちは綾瀬(ふたたび呼び捨て)を乗せてんだぞ!

どうにか一般道におりて難を逃れたが、まわりは見たことのない景色だ。どうやらもう吉野らしかった。そして、ここまで来たのなら丹生川上神社・中社に行ってみようかと思った。以前、上社に参拝したおりに、いつか中社、下社と参拝して三社参りをしてみたいと思ったのだ。

下社・中社・上社と称しているが、これは元宮・上の宮・下の宮(里宮)ということではなく、もともとそれぞれ別のお社であったものが、さまざまな経緯、考証を経て、大正11年丹生川上神社・下社・中社・上社を称し、官幣大社に列せられたものだ。

もう2時間近くはしってないか。奈良と言っても広いものだ。これでは以前、和歌山県かつらぎ町の丹生都比賈神社(にうつひめじんじゃ)に行った時と、たいして変わりがないぞ。もっとも、この山系を越えたらかつらぎ町ではあるわけだが。

中社まであとすこしというところまで来たとき、ニホンオオカミの像が目に入った。生きたニホンオオカミが最後に目撃されたのは、あるいはこの辺りだったか。

そしてやっと到着した。

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すこし配慮に欠けたヒト

想像通りの美しい自然に囲まれていた。

目前を流れる清流、高見川をすこし上流に歩くと、蟻通橋のあたりで(ここ中社は中世には蟻通明神と称していた)、三本の川が合流する「夢淵」と名のついた深渕がある。一面、瑠璃色エメラルドグリーンの水をたたえたそこは、東征のおり、神武天皇が戦勝を祈念したところとも伝えられている。ちかくの小さな滝「東の滝」ともども、大地を流れる水の尽きせぬ生命力を感じさせてくれる。多くの神社では、御祭神は何度か、今風に言うと上書きされてきている。しかし、ここでは創建以来一貫して水神を祭ってきたのだろうと、容易に納得できた。

境内もまた美しかった。造営事業中のため、拝殿の大部分は工事用のシートで覆われていたが、それは別段残念なことではなかった。残念なヒトは拝殿の前にいた。

無意識のうちに、Vサインで自撮りしてしまったのだ。我々の世代、カメラを向けられると条件反射のようにVサインをする人がたくさんいる。このご時世、あちこちの施設の入り口には、体温測定用のカメラが設置されているが、わたしなどその前を通り過ぎるときにもいつもVサインだ。

ほかの参拝客たちも、こころなしか眉をひそめているような気がして、ずいぶん恥じ入ってしまった。新年の祝祭気分の中、たとえ自分のこととはいえ、あまりあしざまには言いたくないのだが、どんなに言葉を選んでも、すこし配慮に欠けた振る舞いだったかもしれない。

人前でVサインを掲げるのは、第二次世界大戦中のウィンストン・チャーチルが嚆矢になる。この苦難を跳ね返そう。我々はドイツに勝利する。Vサインは勝利(ビィクトリー)へのこころからの希求、レジスタンスの象徴であったはずだから。

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わたしは拝殿の前で柏手をうち、すべての人に心の平安が訪れますように、そして、すこし配慮に欠けたヒトにもどうか幸あれと、ミズハノメノカミにいつまでも願った。

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