月が替わり八月になった。
夏も盛りというわけで、この暑さも当然なのかもしれない。
しかし、夕方4時すぎ、クルマの車外温度計が36度をしめしているのは、いくらなんでもやりすぎだと感じていた。
我慢の限界をこえていた…。
運転中ずっと理不尽だ、無茶苦茶だ、文句を言ってやるなどと、そんな言葉がつぎつぎとあたまに浮かんでは消えていった。
カラダが熱っぽく、さきほどから視界もぼやけ始めてきたようだった。まさか、いま猛威を振るっているウイルスの症状なのか。
カップホルダーのアイスコーヒーに手をのばす。
エアコンの液晶表示が33度になっていた。
どうして…。
いつ手が触れたんだ。
コーヒーを置いたときだろうか。それともⅮⅤⅮを入れ替えたときなのか。
ずっと温風を浴びながら運転をしていたのだ。
息苦しいのも当然だった。
蒸し焼きにもなろうというものだ…。
クルマは外環状線を突っ切って、道なりに進んでいく。
やがて羽曳野大橋を通り過ぎた。
この時期、下を流れる石川の水量はめっきり少なく、川幅は狭くなっている。だだっ広い両側の河川敷が、そのことをいっそう強調していた。
目的地まで、もうすぐだった。
壷井水のこと、壷井八幡宮に詣でて
ふたつの峰をもつ双耳峰・二上山を横目で見やりながら、そちらへは曲がらずに、南阪奈道路のしたをくぐりブドウ畑のなかを直進する。
そこから、ほんの数分で壷井八幡宮に到る。
しかし、道幅はせまい。
わたしはゆっくりとはしった。
軽自動車のコーナーセンサーがピーピーとうるさかった。
うしろから、ミツビシ・デリカD-5が迫ってきて、たちまち追いつかれた。
こんな大きなクルマで…。
まったくアグレッシブなヒトもいたものだ。
こういうアウトドア志向のクルマに乗るようなヒトは、すべからくそうなのか。
こんな狭い道を行くこと自体がアドベンチャーだというのか。
ただ単に、自宅が壷井にあるというだけかもしれないわけだが。
わたしは社務所前の駐車場を通り過ぎて、鳥居のわきにある第二駐車場にクルマをとめた。
日陰になっていることも、なんの助けにもなっていなかった。
沸騰したような、ねっとりとした空気がまとわりついてきた。
このままもう、わたしは崩れ落ちてしまうかもしれない。
すぐそばに壷井水 (つぼいみず・清泉壷井) が見えた。
この地に館を構え、河内源氏の祖となった源 頼信 (よりのぶ)、その嫡男、源 頼義 (よりよし) が「前九年の役」に際して奥州へと赴いた際に大干ばつに見舞われ、飲み水にもことかくありさまだった。兵の士気もさがるなか、頼義は馬をおり跪くと、身に着けていた鎧を脱いでそれを両手で高々と天に掲げて、どうか飲み水をと祈った。そして弓をぎりぎりと引いて放つと、矢の当たった岸壁から清水が噴き出したという。
渇きをいやし、みごと戦に勝利した頼義はその清水を壺に入れて凱旋し、当地に井戸を掘ると感謝の念のあかしにその壺を底に沈め「壷井水」と称した。
以来、この地もまた壷井と言われるようになったと伝えられている。
壷井八幡宮は、その頼義が石清水八幡宮から神霊を勧請して創建されたものだ。
わたしは鳥居のすぐそばに壷井水があることから、てっきりこれが八幡宮の手水舎を兼ねているものだと思い込んでいた。
しかし、境内にそれとは別に手水舎はあった。
八幡宮は鎮守の杜がことのほか見事で、それだけでも一見の価値がある。
境内は清浄の気に満ちていた。
しかしそれよりもなによりも、わたしはただ暑さのせいでおかしくなりそうだった。
喉がふさがれて、呼吸がうまくできていないかんじだった。
戦の果てに眠るところ
参拝をおえたわたしは、壷井のまちを歩いた。
白壁に格子戸をそなえたふるい家屋が、あちらこちらにのこっていた。
もしもはるか遠くにあるPL教団の白亜の塔 (まるで岡本太郎がデザインした東京スカイツリーといったかんじの、奇抜なあれ) が見えていなかったら、ここが現実の世界とは思えなかったかもしれない。
寺自体は明治の廃仏毀釈によって取り壊されて、いまは礎石がのこるばかり。
ここに頼義公の墓所がある。
そして「前九年の役」に父とともに奥州に付き従った義家公の墓所は、すぐ近く、小山の上に築かれている。
けっこうなのぼり勾配だ。
真新しい手すりの設置されていたことが、わずかな救いだった。
そして頂上まで登ると、義家公の円丘墓よりも、まず、一直線に二十基ほど並べられた墓石が目に飛び込んでくる。おもに通法寺の歴代住職のものだという。
ふたたび壷井水のこと
わたしは来た道をもどりはじめた。
足元がおぼつかない。
すでに、汗さえ出なくなっていた。
皮膚がつぎつぎと剥離していくような感覚に襲われた。
溝の上を水色の背をしたとんぼが飛んでいた。
とんぼは、はて、脱皮をするのだったか。
ここでは一台もジュースの自動販売機を目にしていない。
普段なら、いやというほどあちこちにあるものが…。
いま、目の前に壷井水がある。
近年まで飲料水として供されていたと聞いていたが、残念ながら枯れ果てていた。
背後の鎮守の杜が、強烈な西日にあぶられていた。
わたしは壷井水で跪き、首を垂れてバンバンと両手で敷かれた石を激しく叩く。
今度はなんども額をそこに打ちつける。
やがて石が割れ、そこから清水が噴き出すだろう。
そのさきに見えるのは、頬がこけ、髪をふりみだして片手に鎧を引きずるように持って立ち尽くす武者の姿。