水占い、というものが全国あちこちの神社仏閣に存在する。
試されたかたもおられよう。
授与所で拝受した用紙を境内の池や沢に浮かべる。あるいは流れ落ちる清水をかける。
するとそこに神託の文字が浮かびあがってくる。
おみくじの一種ともいえるわけだが、邪気を清める水をもちいることで、なにやらありがたみも増して感じられてくる。
島根県松江市佐草に鎮座する八重垣神社の鏡の池と名付けられた小さな池のまわりも、そんな占いに興じるヒトたちでにぎわっている。
水面に浮かべた用紙に、そっと硬貨を置く。早々に沈めば早い時期に、長く浮かんだ後に沈めばずっと遅い時期に相手と結ばれる。遠くで沈めば遠方にいるヒトと、近くで沈めば、いま身近にいるヒトと…。
わたしはそんな彼女たち (そこにいるのはほとんどが女性だった) のようすを、ただうしろから眺めていた。
八重垣神社に関する備忘録
- 意宇六社の一社、旧称は佐久佐神社。
- 社殿の様式は大社造
- 八重垣神社の名称は八岐大蛇を退治したあと素戔嗚尊が詠んだというよろこびのうた「八雲立つ 出雲八重垣妻込みに 八重垣造る其の八重垣を」に由来する。
- 主祭神は素戔嗚尊と稲田姫命の二柱。
- 境内奥にひろがる佐久佐女の森は素戔嗚尊が八岐大蛇と対峙するあいだ、稲田姫をかくまったところと伝えられる。
- その佐久佐女の森に鏡の池がある。素戔嗚尊を待つあいだ、稲田姫が鏡代わりに御身を映していたという。
稲田姫の思慕
拝殿で参拝をし、宝物殿の見学を終えると、いよいよわたしは社殿のうしろ、佐久佐女の森に入っていった。
二本の木柱に細い注連縄を渡しただけの簡素な鳥居をくぐると、それまでとは明らかに空気感が変わった。
木漏れ日さえ通さぬほど、木々が生い茂っていた。
静謐な気に、わたしは圧倒された。
それは、いま思えば不思議なことだ。
そのすぐさきの鏡の池では大勢の女性たちが、占いに一喜一憂していたわけだから。
さらにあゆみを進めると、鏡の池を見守るように建てられたちいさな天鏡神社が見えた。
御祭神の稲田姫命は、ああ、素戔嗚尊を慕い待ちつつ、この池を鏡代わりにしていたのか、と思うと感慨もひとしおだった。しかし水面に顔を映したとて、さぞ見づらかったことだろう。アマテラスを困らせ、八岐大蛇を成敗するほどの勇ましい素戔嗚尊ならば、この池を持ち上げてすこし手前に傾けてやってもよかったものを。もっともそんな勇敢な素戔嗚尊はあくまで記紀に描かれたものであって、出雲国風土記には、英雄譚とは無縁の、朴訥な印象の神として登場している。
十人程の現代の稲田姫たちが、いづれも真剣な表情で白い用紙の行方を見つめていた。
そんなに肩にチカラを入れなさんな。オレなら空いてるぜ、と軽口をかけられる雰囲気ではなかった。
あれから、十五年が過ぎた。
恋占いの行方は
鴨川の流れはおだやかだった。
京都市内もこの一条のあたりまで北に来ると、喧騒はずっと遠くになる。
このすぐ近くに吉田神社がある。
わたしはクルマのラジオをつけた。
「さて、あすいちばんのラッキー星座はかに座です!」
やけに調子のいい、甲高い男の声は続けた。
「とくに恋愛運が絶好調。超強力です。うらやましいなあ」
うらやましがられているのか。
59歳、独身…。
恋愛運、星五つと告げられて、それははたして喜ぶべきことなのかどうか、わたしにはさっぱりわかりかねた。