火山灰と雪
鹿児島に、最後に雪が降り積もったのは、いったいいつのことなのだろうか。
晴れた日に桜島を眺めるのは気持ちのいいものだ。県外者などは、ついつい荒々しいとか、男性的な、生命力に溢れたといったイメージをそこに抱きがちだ。いちめん、それは的外れではないだろう。しかし、波静かな鹿児島湾が鏡面のように空の青をうつし、ただ桜島を抱いているさまを見たものは、その優美な姿に、誰もが魂を激しく揺すられる。まわりの人たちは、おお、などと感嘆の声をあげ、さかんにシャッターを押していたが、わたしは魅入られ、茫然として立ち尽くすばかりだった。全国、景勝地は数多くあるが、どれほど美しい風景を見ても、それと似た別の場所を思いつくことは、さほど難しくはない。しかしここ桜島だけは、唯一のものだ。いまから未聞の生(せい)が始まる予感に、わたしは打ち震えた。
「あの火山灰ってどうするのかしら」
「みんなが集めたやつを自治体が回収するらしいよ。ゴミみたいに」
「へえ。燃えるゴミの日、燃えないゴミの日、プラ製リサイクルの日、空き缶の日、それと火山灰の日!」
「そんな週一とかではないでしょう。桜島が噴火した時だけだよ。不定期でしょう」
「そうなの。でもちょっとロマンティックね。雪かきみたいで」
雪かきがロマンティックだって!その会話をうしろで聞いていたわたしは、思わず声を上げそうになった。一晩で身の丈近くも降り積もる雪。あれは厄災以外の何物でもない。はやく屋根の雪をおろさなければ!うまく屋根にのぼれたとしても、うっかり足を滑らせでもすれば、命の危険さえある…。
「あら、風が吹いてきた。噴火したら、こっちに灰が飛んできちゃう。嫌ねえ。」雪かきオンナは振り返って言った。わたしと同年配の女性だった。「ねえ」
なぜ、隣にいるつれとおぼしき男性にではなく、わざわざ振り向いて、見ず知らずのわたしに同意を求めたのだろうかと、いま、しみじみ不思議に思う。あの風はわたしが吹かせた訳ではないのに。はるかむかし、この星が自転を始めたときから、絶えることなく風は吹いていた…。
「まったくですねえ」わたしは答えた。
確かに、東南東の風が吹いていた。
東南東の風が
神代のころ、豊玉姫が朝に夕にと玉乃井で水を汲んでいた時にも、その風は井戸のまわりに吹いていた。そして、そこを訪れた彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)の肩にも、擦過するように吹き付けた。
沖永良部島で、瘦せこけた西郷公が静かに瞑想している時にも、目前をその風は吹き抜けていった。
知覧の空に、軽量の戦闘機が一機、また一機とトンボの群れのように飛び立っていったときにも、上空に風は吹いていた。悲哀と慟哭(どうこく)と…。
風は桜島の周りをぐるぐるとまわり、鹿児島市街に向かう。国道3号線を北上し、無数に分かれて、気ままにすすんでいく。山を越え、霧島神宮を過ぎて、高千穂峰に向かって風は吹いた。
永遠に生きたいと思うものがいれば、その風は笑うだろう。
風は草地にやさしく吹き、葉のうえで休んでいたカナブンの小さなからだにも吹いた。
鹿児島県庁の旗をはためかせ、肝属川のかわもを波立たせた。
そして上白石萌歌のスカートのすそをひらひらと揺らした…、はずだ。
センセーショナルだ!