車窓から
初めて宇佐神宮に参拝することになったその日、わたしは朝から居住まいをただし、ずいぶんと身構えていたものだ。それはそうだろう。全国4万社あまりある八幡社の総本宮。神仏習合発祥の地。(そしてまたお神輿発祥の地でもあるそうだ。)この地もまた、奈良や京都と同様に、日本人の心のふるさとと呼びうるところだろう。
だからこそ、カーナビゲーションが目的地まであと5分と告げた頃、国道10号線の両側にたくさんの星条旗がはためいているのが見えたとき、いったい何が起こっているのかと首をかしげるばかりだった。
極めつけは、右のこぶしを高々と突き上げた、身長5メートルはあろうかという巨大なバラク・オバマ氏の人形の上半身が、ビルの3階の窓を突き破り、いまにも大空へ飛び立とうとしているかのようだったことだ。
いったいなにがそんなに楽しかったのか。彼は上機嫌に笑っていた。あれは、もうどれくらい前のことだったか。ちょうど、オバマ氏が次期合衆国大統領に決定したというニュースが、テレビ画面をにぎわせていた頃だ。「チェインジ!」彼はまっすぐに前を見据えて熱弁をふるっていた。「チェインジ!」
神宮の杜(もり)
大分県宇佐市、たしかにアルファベット表記ならUSAに違いない。「だからってなあ…」と口をついたかどうかは覚えていないが、苦笑を禁じえなかった。わたしは、もっと厳粛で、もっと信仰一色な町の様子を想像していた。すべての会話、すべての建物、ありとあらゆるものが、ただ祈りにのみ捧げられているとでもいったような。例えば天理駅前のような…。
わたしは神宮の駐車場に車を進め、正面を仰ぎ見た。神宮の杜が起立している。それは一瞥しただけだは視界に収まりきらないほど大きく、圧倒的だった。濃密な緑が密集し、そのはるか奥、高いところにある本殿を厳重に隠していた。わたしは両目を見開いた。口をあんぐりとあけてもいただろうか。
突然、まるで目前に古代の城塞が現れたようだった。八幡神が、ながらく武神として崇められてきた理由の一端を垣間見たような気がした。
怖気づいたのでもなかろうが、わたしは正面ではなく東のほうへとまわって行った。
どれほど歩いた頃だっただろうか、小さな本屋が店をあけていた。背の高い本棚にかこまれた通路は狭く、日光をうまく取り込めていない。子供のころ、よく通っていた本屋もやはりこんな風だった。そこはいつも薄暗く、紙のにおいがした。最近では、小ざっぱりとした明るい感じの店ばかりになったが、それらさえも、今では閉店に追い込まれるところが後を絶たない。出版不況というらしい。「チェンジ!」すべてはそういうことなのだろう。
一年、また一年と、時の移ろいとともに多くのものが変わっていく。そんななかにあって、いつまでも変わらずにあってほしいと思うものも、またあるものだ。まだやっているのだろうか。あの小さな本屋は。