潜伏キリシタンの資料館は、森のなかにひっそりとたたずんでいた

森の奥深くに

「あった!」

薄暗い森のなか、わたしは満面の笑顔で声をあげた。思わず指さした先にある建物が、予想にたがわず、小さくて華奢だったからだ。それはまるで、絵本にでてくる魔法使いの老婆が住んでいる小屋のように、静かにたたずんでいた。ほかには誰もいない土の道を、入り口に向かって歩いていく。波の音が聞こえていた。かすかに、潮の香りが運ばれてくる…。

長崎県平戸市にある「切支丹資料館」は、この地方の潜伏キリシタンの歴史的遺物を展示し、禁教令のもと、いちずにキリスト教の信仰をつらぬこうとした彼等の受難や、その後の信仰の変容過程を紹介している。時の流れのうちに、マリヤ像は着物を着たふくよかな顔のマリヤ観音となり、薄暗い納戸の中にキリシタンの母体を秘蔵し、納戸神としてこれを祭った。わたしはそれらを眺め、ただ立ち尽くしていた。からだが硬直し、動かなくなった。館内は生(せい)への熱烈な希求で充溢していた。こころのよすがをなくしては、ひとは生きていけない。それは、棄教を拒んで死をえらんだ殉教者たちには自明のことだったのであろう。

そんな資料館が駅前の繁華街にあったとしたら、どうだろうか。やはりなにかが違うとかんじたはずだ。それがひとりひとりの潜伏キリシタンさながらに、森のなか、ひっそりとたたずんでいた。

あまりにも、なにやら出来すぎのように思われて、わたしは笑ったのだ。

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海の道を往く

はじめての長崎行きだった。午前5時過ぎ、ここは長崎市内随一の目抜き通りと思われるが、路面電車の線路が、朝日を受けてぎらぎらと光るのが目立つばかりで、まだ人影は見られない。長崎は観光名所に事欠かないが、どこに行くにしても、時間が早すぎると思われた。気ままにドライブといきますか!わたしはアクセルを強く踏んだ。お団子しっぽの猫が、気持ちよさそうに長々とのびをしていた。

正午前、左手に海をのぞみながら県道10号線をすすんでいくと、「切支丹資料館」と書かれた小さな案内板が目に入った。長崎は著名な観光名所に事欠かない。大浦天主堂、グラバー邸、ハウステンボス稲佐山…。しかし切支丹資料館とはいったい…。わたしは車を降りて森のほうを見た。背後で波の打ち付ける音がした。

長崎はいにしえの昔から、海外との玄関口であった。平戸から朝鮮半島までは200キロ余り。島伝いに海の道を往った古代の人々は、はたしてどんな思いをいだいていたのだろうか。

壱峻島、対馬島社格の高い神社が多くあることは、地元の人以外には、あまり知られていない。壱峻には、月読神社、天手長比売神社などの名神大社をはじめ、式内社24座。対馬には、和多都美神社などの名神大社6座、小社23座で、式内社29座。

小舟には何人が乗り込んでいたのだろう。本人ひとりだけか、あるいは家族全員だったろうか。ときに海流にまかせ、ときには逆らって往く海の道。無事を願い、希望を思い続けたそれはまた祈りの道。

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わたしは資料館を出て、車に乗り込んだ。

平戸。この信仰の十字路に、いまを生きるわたしたちは、いったいどのような想いをかさねていけばいいのだろう。