人生の贈り物。春、持田神社でいただいたもの

冬の持田神社は美しい。ソフトビジネスパークから西にのびる農免農道でクルマをとめて、うっすらと雪をかぶったその姿を初めて見たとき、わたしは身じろぎもせず、しばらくの間、見入っていた。鳥居がまるで神域への入り口のように、ぽっかりと口を開けているかのようだった。うしろには鎮守の杜。手前の建物には日章旗が掲げられていた。きょうは旗日だったか。まわりも同じく雪に覆われたなかで、お社のすがたは際立って鮮明だった。まるで一枚のはかない水墨画のように思われた。

しかし島根県松江市にあるそこを再訪したのは、春、草木のめぶく頃だった。

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持田神社を再訪して

参拝者用の駐車場にクルマをとめた。一礼して鳥居をくぐる。左手にある手水舎の水はとめられていた。このウイルス騒ぎ以降、多くの神社でこうなっている。

わたしは衣服を整え、両方のてのひらで交互に上着をはたいて身を清めたつもりになって、拝殿で参拝した。

なにかを願ったわけではなかった。祈るようなこともなかった。

ただ無心に手を合わせて参拝をおえると、左手にある摂社にも、おなじようにまいった。

その前には、小さな石像が数体置かれていた。東照宮の見ざる聞かざる言わざるにすこしにている。石の表面の状態から、相当ふるいものだと見て取れた。わたしはかがみこんでそのちいさな頭を撫でた。頭のない像もいたが、それは欠損なのか、頭痛に御利益(ごりやく)ということに関連してそうなのかはわからなかった。わたしはながいあいだそうしていた。冬に訪れたときと同様に…。

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神様の贈り物

春の陽気に誘われたのかもしれない。

わたしは本殿の裏手の杜(もり)のなかに進んでいった。薄茶色の作業着風の身なりの男性が地面にかがみこんでいる。いったいなにをしているのだろう。

「こんにちは」わたしは話しかけた。

そのヒトは顔をあげた。わたしよりもかなり年長に見受けられた。「たけのこはお好きですか」

見ると、薄いプラスチックの箱に、土のついたたけのこが整然と並べられている。たけのこを採っておられたのだ。ここ(神社)のヒトなのだろう。

「ええ、大好きですよ。でも、こんな自然のたけのこを見たのははじめてです」

「あなたの足元にもありますが!」

わたしの靴先すぐのところに、地面からわずか数センチの突起があたまをのぞかせている。わたしは思わず足を引いた。そのヒトは手際よく掘り出すと、軍手をはめた手で土をぬぐった。

「ひとつ、さしあげましょう」

わたしは神社を後にした。

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わたしは嬉しかった。いつまでもニコニコと顔をくずしていたことだろう。なんの屈託もない会話をかわすのも久しぶりに思えたし、ヒトの好意に気付かされるのもそうだった。

助手席に置かれたたけのこが大きな幸運のしるしに思われて、わたしはながい時間、それを撫でていた。

 

 

 

琴引山で大国主の御琴を聞いた、騒擾(そうじょう)を止めるもの、平和の琴の音

琴の音を最後に生で聞いたのは、もう半世紀近く前のことになろうか。

親戚の家で、いとこの女の子たちが、ハレの日にはよく座敷で琴を弾いていたものだ。そう、女の子…。趣味のいい調度品、高価な掛け軸、手入れの行き届いた中庭。琴というと、いまでは和服に身を包んだ上品な女性が優雅にかなでるものといったイメージだ。かしこまって、静かに耳を傾ける…。

では、むかしのひとはどうだったろう。

孔子柿本人麻呂もたしなんだという琴について、平安人はどう思っていたのだろう。実際に琴の音を耳にした貴族階級のひとたちは、なんと感じたのだろう。

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琴引山の大国主

広島を出発して国道54号線を北にむかっていた。最後まで進めば、右側目前に宍道湖を見ることになる。

島根県との県境を越えるころには、どこまでも続く深い山々の眺めにもすっかり慣れてきていた。長々と続くかわり映えのしない風景のなか、すでに飯南町に至っているはずなのに、はたしてここのどこが琴引山なのか見当がつかずに、わたしは途方に暮れかけていた。

出雲国風土記は、琴引山の峰にある窟(いわや)に、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ・大国主命)の御琴がおさめられているという。たんなる伝承にしては記述が具体的だ。長さ七尺、広さ三尺、厚さ一尺五寸ありとある。それは、根の国から大国主命スセリビメを連れ出すときにいっしょに持ち出したという、あの琴なのだろうか。琴が木に触れて大きな音をたて、目を覚ましたスサノオ黄泉比良坂(伊賦夜坂)まで追いかけられたというあの琴…。イザナギが駆けたあの坂道を、こんどは大国主がはしる。

黄泉比良坂(伊賦夜坂)については、まえに「人生の円環、勝者なき……」で触れた。

 

tabinagara.jp

わたしは琴引山(標高1,014メートル)山頂近くにある琴弾山神社に参拝するつもりだった。

頓原(とんばら)ラムネ銀泉

わたしは脇道にはいり、クルマで坂道をのぼっていった。

まだ青々とした稲が尖った葉先を空に向けている。

すると見覚えのあるちいさな建物が見えた。

「頓原天然炭酸温泉・ラムネ銀泉」は、その名の通り、豊富に炭酸を含んだ天然温泉だ。

以前、はじめてここに来た時には、山の中にぽつんと、まだ建って間もないようなきれいな温泉施設をたまたま見つけて、ずいぶんと感激したものだ。

素通りは、ありえなかった。

なかに入ると、販売コーナーに並べられた、色鮮やかな、いかにも瑞々しげな野菜が出迎えてくれた。そしてここでしか飲めないであろうラムネ「頓原の銀泉」

わたしは服を脱ぎ、とびらをあけた。

驚いたのなんの、思わずあとずさりそうになった。

湯船の湯が濃緑色をしていた。ほとんど黒に近い。

記憶違いなのか、透明ではなかったか。

わたしのあまりにいぶかしがった表情を見て取ったのか、肩まで浸かってほんのり顔を上気させたオトコが話しかけてきた。

「ここの湯はさあ、日によって色が違うんだよ。緑、黄緑、オレンジ、黄色。いろいろとね。天然温泉ならではさ。大自然の神秘ってやつだね。わたしみたいにひと月も通えば、全部の色を体験できるさ。」

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騒擾(そうじょう)の琴の音

思うさま湯を堪能したあとで建物を出た。ずいぶんと影が長くなっている。そんなになが湯したのか。きもちのいい温泉だった。

さて、急いで仕切りなおしだ。琴弾山神社に向かおう。

わたしは湯冷ましのつもりで、ほんの数分、歩いて坂をくだっていき、立ち止まった。

音はなく、風がそよぐこともなかった。

鳥は鳴かず、虫の羽音さえ聞こえない。

眼下に国道が小さく見えていた。

無音だった。ほかに人影はなかった。

何もないところに、わたしは至っていた。

もうすぐだ、とわたしは思った。

右のてのひらをじっとみて、ゆっくりと、空に向かって腕を上げた。

もう、準備はできている。もうすぐだ。

わたしは耳を澄ませて、琴の音がするのを待った。

眠り込んでいたスサノオを起こすほどの騒がしい音をたてる琴の音。もしその音がしたならば、いま起きている、ありとあらゆることをたちまちのうちに止められるのではないか。いま世界中を覆っているこのウイルス騒ぎも、欧州で起きている面子ばかりの遠慮がちな戦争も、飢餓も、クーデターも、不正な会計操作も、この星の温暖化までも…。

もうすぐだ。

たとえ耳の鼓膜が破れようとも、わたしはしっかり聞きたいと願った。

琴引山でつま弾かれる、大国主の騒擾の琴の音を。

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※追記、

箏(そう)と琴(きん)のちがいについて。

箏と琴は違うものです。柱(じ)のないものが琴。あるものが箏になります。大国主の御琴は琴。時代背景からして、おそらくは七弦琴。わたしが親戚の家で目にし、また今現在世間でひろく「お琴」と認識されているものは、実は箏になります。大国主の御琴のほうは、座って腿の上において演奏する、ラップスティールギターのようなものを思い起こしていただけたらよいかと思います。しかし、ここではわかりやすさを第一に考え、すべて琴で統一しました。何卒、ご理解を賜りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

午後、生駒神社で見えたもの。絶頂の焔(ほのお)、秋祭り、甘南備、既視感、その他…。

休日の午後、ぽっかりと時間があいた。

スーパーの買い出しからもどってきたのが正午過ぎ、歯医者の予約は夕方の6時だった。歯医者にはもう1年も通っているが、まだまだ終わりそうにない。

すべては、このウイルス騒ぎのせいだ。

前歯が抜けた。これまでなら、見苦しいのですぐに治療をしたものだ。でも、急ぐことはないさ、マスクが隠してくれる。

やばい、寝過ごした。歯磨きなんてはぶいて、すぐに着替えて家を飛び出せ。口臭なんて気にするな。マスクをしてるじゃないか。ばれないさ。

そうして気づいたときには、あちらの歯もこちらの歯も抜けてしまい、いよいよものも噛めなくなって、すっかりしょげかえり、もうどうしようもなくなって、泣く泣く歯医者の門をたたいた。

そんなわけで、夕方には歯医者にいかなければならなかった。

これがなければ、はんにちの自由を手にしていたのだ。

しかし5時間少々で、一体何ができるだろう。

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春の生駒神社へ

生駒神社(往馬大社、往馬坐伊古麻都比古神社)は奈良県の西部、生駒市にある。

もとより生駒山(標高642メートル)を御神体としてあがめていたはずだが、その山は、山頂付近にテレビ局の電波塔等が立ち並び、いまは、甘南備の面影をとどめていない。

創建当時の御祭神は伊古麻都比古、伊古麻都比賣の二神。その後、武家の興隆にともなって八幡神五神を春日造の本殿に合祀し、現在に至っている。

鎮守の杜は奈良県の天然記念物に指定されている。

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自宅から生駒神社まで30分あまり。これほど近いというのに、生まれ故郷の生駒の地に、ここを離れて以来、いちども行くことがなかった。

生駒神社は火祭りで名高い。

火は木のくぼみにやはり木の棒をこすりつけておこすことから、男女の和合の暗喩として説明されることが多い。当社の祭りがどうなのか、わたしは寡聞にして知らない。わたしの知る生駒の火祭りは、にぎやかに露店の並んだ、子供のころのわくわくした思い出でしかない。

ひさしぶりに訪れたお社は、ひろい駐車場が整備されていた。まだきれいな舗装の状態からみて、それほど以前のことではないのだろう。大型バスのスペースもあるが、この細い道を通ってくるのは大変だろう。

それ以外、変わるところはなかった。

鎮守の杜で見たもの

長い石段をのぼり、参拝をおえると、わたしは右手に回り、鎮守の杜をくだっていった。

木漏れ日が降り注ぐ。

わたしは立ち止った。

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これは以前に見たことがあるぞ。

子供のころだろうか。いや、違う。あのときは小遣いの硬貨を握りしめ、露店を巡ったにすぎない。ここにまで踏み入ることはなかったはずだ。ではいったい…。

わたしはあたりを見まわした。

ああ、これは春日大社だよ。

大社のまわりにひろがる春日山原始林。大きさこそ違えど、あそこの風景にうりふたつなんだ。ここが春日造だからでもあるまいが。

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わたしは家路についた。

国道168号線をクルマではしった。散り始めた桜並木の向こうに竜田川がながれている。こころが休まる、穏やかなながめだった。

いつか遠い将来、川沿いの穏やかな風景に出会ったとき、これはむかし見た竜田川の眺めにそっくりだと思うのだろうか。

わたしはじぶんのこころが揺らぐのを感じた。

今見ているこの眺めは、ほんとうに今のものなのだろうか。

いましがた見た、鎮守の杜はどうだ。

ほんとうに春日山原始林に似ていたのか。そもそも、春日山のことなど、わたしははっきりと覚えているのか…。

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竜田大橋を過ぎるころ、カンカンとけたたましい音を立てて、消防車が何台もわたしの横を通り過ぎて行った。クルマのなかに、焦げ臭いにおいが流れ込んできた。

どこかで火の手があがったのだろう。

小さな旅のはなし

家を出て、川沿いの桜並木を眺めながらのんびりと歩いてみた。

そこにいたるわずか10分ほどの間にも、途中にタバコ休憩をはさむ。それでいい。なにも急ぐことはない。それに、わたしにとって気負いなく出かけられるのは、いまはまだこの辺りくらいなものだ。雑踏にまぎれるのは気が進まない。

この二年間、わたしたちはいつも伏し目がちになり、たがいをけん制しあって、それを気取(けど)られぬためでもなかろうが、大きなマスクをつけて顔の半分を隠してすごしてきた。

疑心暗鬼、沈黙、楽観、噂話…。

わたしが恐れるのは、ウイルスばかりではない。ヒトこそが、わたしの恐れるものかもしれない。

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満開の桜の下で

すぐそばの児童公園で、散る桜の花びらを受けながら弁当をひろげる家族連れ。かれらが笑顔でいてくれたのが、わたしにはたまらなくうれしかった。

どの木も見事な枝ぶりで、まわりに日陰をくれている。

重く垂れさがり、川面(かわも)に届こうとしている枝が何本もあった。

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小さな子供を連れた若い母親。その子が落ちた花びらを拾い集めるのを、目を細めて見守っている。

無言で写真を撮り続ける若者。かれは半ズボンすがただった。いくらなんでも、何故だろう。

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この桜並木の下には、なにか、わたしが欲しかったものが確かにあったような気がする。

それが正解なのか、何であるのか、わたしには知る由もなかった。

顕宗天皇陵をのぞんで

桜並木の途切れるころ、バイパスの向こうに見える顕宗天皇陵に、人影はなかった。

敷き詰められた玉砂利が、陽だまりを受けるばかりで、静まり返っていた。

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御陵(みささぎ)のうえには、小さな雲が浮かんでいた。

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いま、わたしのこころを慰めてくれるのは、そして自信に満ちて語れるのは、こんな小さな旅のはなし。

美保神社について知っておきたい七つのこと

春の夜(よ)におぼろに浮かぶ三日月のようだ、美保の港は。

大国主命少彦名命と出会った御大之御前(ミホノミサキ・美保の岬)とは、いずれここから遠くはないのだろう。

植物でできた船に乗り、剥いだ鳥の皮をかぶった小さな神様…。名を問われても答えることさえできない少彦名命は、記紀ではそんな奇抜でどこか妖怪じみた風貌の神様として描かれている。

右手に海を見やりながら、わたしは東にクルマをはしらせていた。スピードを落とし、細い曲がりくねった道をぬけると、いっきに視界がひらけ、日の光をいっぱいに浴びた港が見えた。小さな船がたくさんとまっている。道沿いには、釣り客相手だろうか、旅館が立ち並んでいた。

そんな美保関漁港を見守るように、美保神社はたっている。

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1.  往路

島根半島の東端に位置する美保神社に参拝するのに、最寄りの鉄道の駅から徒歩でとはいかない。

境港駅松江駅からならバスに乗り換える必要がある。タクシーもいいだろう。しかし、さきに記したわたしのように自家用車を運転していかれるひとも多いだろう。

境水道大橋をこえて県道2号線に入り、そのまま海沿いを東に向かってはしる。

途中、海上に突き出た夫婦岩(めおといわ・男女に見立てた二つの岩に注連縄が渡されている)を過ぎたあたりから、なにか日常を離れた厳粛な気分になる。まるでもう、美保神社の境内をすすんでいるかのような。

そして漁港が見えてきたなら、右手にある美保関観光無料駐車場にクルマをとめることができる。

2.露店

駐車場から鳥居までの短い距離のあいだに、何軒か露店がならんでいる。祭りでもないのにめずらしいことだ。そしてかならず声が飛んでくる。「いかがですか」

わたしは10回ほど参拝したが、声をかけられなかったことはいちどもない。

そして、いつもまっすぐ前を見て早足で通り過ぎていたのだが、すこし後悔している。

いま、自宅の本棚を見ても美保神社の由緒書もなければ、関連する書籍も見当たらない。やはり旅の思い出のために、ちょっとした土産物は必要かもしれない。

3.御祭神

三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)をまつる。これはよく言われているように、記紀神話の影響だろう。これでは大国主命を挟んで義理の母子をまつっていることになる。それが変だというのではないが、そのまえは、やはり出雲国風土記にあるように、御穂須須美命(みほすすみのみこと)一神をまつっていたのだろう。

わたしたちは、ただ御祭神にのみ祈るのではない。

神社の周りの自然にも同様の畏怖の念を抱く。

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4.  美保造

二つの本殿が、つながってたてられている。

向かって右側に三穂津姫命、左に事代主神をそれぞれまつっている、美保造(みほづくり)と呼ばれるめずらしい様式だが、拝殿はひとつなので、漫然と参拝していたのではそれに気付くことはなく、大社造に見えてしまう。

5.周辺案内

青石畳通りには立ち寄りたい。

150メートルほど続く石畳の細い道の両側に、古い日本家屋が並んでいる。往時、北前船の寄港地として栄えた財力が偲ばれる。雨に打たれると、石畳が青く瑠璃色に光ることからこの名がついた。

五本松公園もおすすめだ。

美保神社に近づく頃、左手に廃れたリフトの乗り場跡が見えるので、このうえに何かがあるのだといやおうなしに知ることになる。

春、急な小高い丘を登っていくと、花をつけた5000本ともいわれるつつじが出迎えてくれる。思わず息をのみ、あしの疲れもどこかへ吹き飛ぶこと請け合いだ。わたしがここを初めて訪れたのは真夏だったが、上からの眺望だけでも、美しいの一言に尽きた。

五本松とは、民謡、関の五本松でうたわれたあの五本松のこと。初代の五本松は今はなく、それを模したモニュメントが丘の上にたっている。

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6.  帰路

参拝を終えたわたしは、いま来た道をもどっていった。ただし、境水道大橋を渡らずに、国道485号線に入り、日本海に向かって北上して七類港に出た。そのままフェリーに乗って隠岐の島まで行けば、ずいぶんと旅の奥行きが増しただろう。

しかし、わたしは別の場所を目指していた。

クルマの助手席に放り込んだカバンに、自宅のクローゼットの奥から見つけだした思いがけないものを詰め込んでいた。

わたしは県道37号線(松江鹿島美保関線という長い名前)を海沿いに西へとすすみ、北浦でクルマをとめた。美保関町北浦、ここの北浦海水浴場が目的地だった。

手書きの看板が目に入った。

『駐車場、一台500円』

いったい何の冗談だろう。これは駐車場とは名ばかりの、でこぼこのただの空き地ではないか。美保神社前の駐車場は無料だったぞ。しかもあちらはちゃんと舗装してある。あまりのばかばかしさに帰ろうとしたとき、北浦の海が見えた。

ああ!…ああ!とわたしは心の中で声を漏らした。5000円でもだしますとも!

そして簡易更衣室に飛び込むと、カバンからいそいそと高校時代の黒いスクール水着を取り出した。

こんなものが部屋から出てきたというのは、海へ行きなさいという啓示にほかならない。自然に溶け込み、一体となって、思うさまこころを開放させなさいと。そうすればわたしは……、おお!…おお!まだちゃんと穿けるよ。すごいよ、これ。がんがん伸びるよ。

わたしは一直線に海へと走り出した。

 

7. ふたたび北浦海水浴場のこと

しばらくして、泳ぎ疲れたわたしは浅瀬で立ち上がった。

まるでビキニパンツのように変わり果てたスクール水着が、からだにめり込んでいた。そのうえに突き出た腹がのっている。

無理もなっかた。

高校生のころ60キロだった体重が、その当時、すでに80キロに近づいていた。

恥ずかしさのあまり、わたしは急いで首から下を海水に隠した。

そんな妖怪じみた風体の中年男が、首だけを海から出して身じろぎもしない。変質者以外のなにものにも見えなかったことだろう。周りの人たちは、きっと、こうたずねたかったに違いない。

「どこから来られたんですか」

「おひとりですか」

「おい、さっきからなにをジロジロ見てるんだ」

「名前を教えてください」

もしなにかをきかれても、絶対にわたしは一言も答えられなかった。

わたしは、遠く東のほうを見た。

どこまでも海と山があるばかりで、ほかにはなにも見えなかった…。

美穂の岬は遠い。

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   万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影   

  

 

 

 

 

人生の円環、勝者なきトラックレースで笑うものとは、伊賦夜坂(いふやざか)の周回遅れランナー

夫婦愛などというと、ずいぶんと古めかしい言葉に聞こえて、特に若い人などはそういわれると苦笑して斜めに構えてしまう。わたしのような年配者でも照れてしまうのだから、さもありなんだ。しかしイザナギイザナミの夫婦神のことを想うとき、わたしはいつもこの言葉が頭をよぎる。イザナミが黄泉の国へと旅立って以降のエピソードでは、とくにそうだ。

何故なのかは自分でもわからない。

それは御存知のように、壮絶な夫婦喧嘩の話、あるいは永遠 (とわ) の夫婦別れの話であるわけだから。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

黄泉の国へ

火の神・カグツチを産んだときの火傷がもとで、イザナミは黄泉の国 (根の国・死者の国) へと旅立ってしまう。残されたイザナギは嘆き悲しんでそのあとを追い、どうか戻って来てほしいと必死に訴えた。

「わたしは、もうこの国の食べ物を一度口にしたので、もとの国には戻れません。でも、何とかなるかどうか、この国の神に相談してみましょう。ただ、わたしが戻ってくるまでのあいだ、決してこちらを覗かないでください」

イザナミは黄泉の国の御殿の中から、そう言い残した。

しかしあまりにも時間がたって、不安になったイザナギは御殿の戸を開けて、中を覗いてしまう。そしてそこで目にしたのは、体じゅうにウジがわいた、醜悪で変わり果てた妻の姿だった。

「よくもわたしに恥をかかせたな!」

激昂するイザナミのもとから、驚いて逃げ出すイザナギ。しかし、現世と死者の国との境にある黄泉比良坂 (よもつひらさか) で、いよいよ追いつかれそうになると、千引岩 (ちびきいわ・千人がかりでないと動かせないほどの大きな岩) で坂を塞いでしまう。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

「愛しい夫よ。あなたがこんなことをするのなら、わたしはあなたの国のひとを一日に千人、絞め殺しましょう」

「愛しい妻よ。あなたがそんなことをするのなら、わたしは一日に千五百の産屋を建てましょう」

伊賦夜坂の夜

島根県松江市東出雲町にある揖夜神社 (いやじんじゃ) はイザナミノミコトを主祭神としてまつる古社だ。

冬、日暮れ間際のころ、初めてここを詣でたわたしはたまらなく黄泉比良坂に行ってみたくなった。古事記に黄泉比良坂とは出雲国の伊賦夜坂のことである、と記されたそこは、クルマでわずか10分足らずのところにある。

わたしはそこで、力のかぎり走りたくなったのだ。息ができなくなるまで。

イザナギが命からがら逃げかえった伊賦夜坂を力のかぎり走る!

わたしはこの思いつきに夢中になった。
国道9号線をまたぐと、すぐだった。現地に駐車場が整備されていることは意外だった。もっとも5台分程ではあったのだが。

わたしはクルマをおりて、坂道を上っていった。

道の両側に細い二本の石柱が立てられ、注連縄が渡されている。それをくぐると、右手に石碑が見えた。すでにすっかり暗くなって、文字は読めなかったが、そこには「黄泉比良坂・伊賦夜坂伝説地」と刻まれているはずだった。

わたしは立ち尽くしていた。

自分はいつレースをおりたんだろう。いつから走らなくなったのか。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

ものごころがつくやつかずの、まだほんの坊やだった頃には、まわりに大勢の仲間がいた。今から何が起こるのか見当もつかないまま、みなでからだを寄せ合い、緊張してスタートの号砲が鳴るのを待っていた。
わたしたちはいっせいに駆け出した。

やがて口で苦しそうに息をする、ハアハアという音があちこちから聞こえてきた。汗のにおいがした。そのうちに「足を踏まれた」だの「背中を押された」だのと言い出すものがあらわれた。ほんとうに転倒する子もいた。わたしは、ちらと見やったが、手を差し伸べることはしなかった。

何周走った頃だろうか、運動好きのクラスメートがひとりでどんどん飛ばしだした。差は見る見る開いていった。「あいつばかだよ」わたしのすぐ前で声がした。「あんなことしたらすぐにバテるさ。すぐに倒れるぜ。棄権が関の山さ。じきに白目をむいて仰向きに倒れたあいつを見ることになるよ」しかしその後、かれの姿を見ることはついぞなかった。

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  万葉人形劇シアター(現在建設中)にて撮影

 

そんな風にして、次々と仲間たちが抜け出していった。そのうちに、長い間見えていた前を走る人の背中も、いつしか見えなくなっていた。

気がつけば、他にはだれもいない。

わたしはたったひとりで、このトラックをのんびりとマイペースで走っている。

最近、ふと思うことがある。ひょっとして自分は勝ったのではないか。自分が先頭なんではないのかと。

たしかにいま、わたしは時代の先頭に立っている。周回遅れで。

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万葉人形劇シアター建設着工のお知らせ、58歳ドールハウス製作にいそしむ

すこし前から右目がかすむ。ある日、ライターの火にタバコの先端をうまくあわせられなくて、あれ、と思った。片目ずつ閉じてみると、右目がうまく見えていない。白い幕がかかったように濁って見えている。そのうちに元に戻るかもしれないという勝手な期待から、しばらくの間、目に負担をかけているであろうパソコンとスマホを遠ざけて過ごしていたが、いっこうによくならない。次の休みには眼医者に行こうと思う。

そんなこんなで、ブログの更新からはしばらく遠ざかっていたが、おかげで自分のブログについて、色々と考える時間を得ることができた。

旅ながらの日々について

はじめに、わたしは全国の神社を紹介するサイトのようなものを作りたいと考えていたのだが、自分の技量不足からたちまちに断念してしまった。

そこで、各地の神社をたずねた思い出を旅行記風にまとめてみることを思い立ち、このブログをはじめたわけだ。

そうして二、三記事投稿したある日、パソコンを見ていて、「たびながら」という旅行ブログがフェイスブック上で運営されているのを見つけた。怒髪天を衝く、とはまさにあのときのことだ。震えながら見てみる。美しいたくさんの旅先での写真、饒舌にはしりすぎない簡潔な文章。そのどれもが、旅への憧憬にあふれていた。茫然としてさらによく見てみると、ずいぶんと前からはじめられ、継続して続いており、多くのファンにささえられているのが分かった。あのときのわたしの怒りは「たびながら」さんの怒りであったわけだ! 穴があったら入りたい、とはまさにあのときのこと…。もっとも、先方がこちらに気づいている可能性なぞ、ほぼ皆無なわけだが。

以来、いちども「たびながら」をこわくて (申し訳なくて、だ) 見ていない。しかし、ますますもってご盛運であろうと思う。

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ブログコミュニケーションについて

以前、島根県松江市で暮らしていた。その六年間、わたしは県内のみならず、多くの神社を訪ね歩いた。読む本も神道関係のものが中心になった。このブログのタイトルも大正時代の著作「神ながらの道」にインスパイアされたものだ。

不思議だった。

そこに至るまでの人生では、初詣にさえろくに行くことがなかったというのに、まるでなにかに憑かれたように、なにかに急き立てられるように、暇を見つけてはいつも神社に足が向いていた。そこではとくになにをするでもなく、ただ柏手を打って参拝したあとは、のんびりと境内を散策するばかりだった。あまりにいつもそうしてばかりいたせいで、会社にいる時間よりも、神社で過ごす時間のほうが長かったくらいだ (さすがにそれはウソ)。

当時のわたしには、そんなことをする理由が自分でも皆目わからなかった。しかし関西に戻り十年経ったいま、妙に腑に落ちている。あれはこのブログを始めるためにしていたことではあるまいかと。無論、そのころはそんなことはまったく意識していなかった  (そもそもブログという言葉さえ知らなかった)。しかし、見えない何かによってわたしは導かれていたのではあるまいか、そんな気がしている。

こうしてブロガー生活を始めたわたしには (自分のことを恥ずかしげもなくブロガーと名乗ってよいものだろうか。しかし後悔先に立たず。すでにナミノハナの回で過去に一度、やらかしている)、常に接し、心の支えとも思う、お気に入りのブログがいくつもある。

 

tabinagara.jp

そのなかには、すでに多くの読者を獲得し、羨望の眼差しを集めていわゆる成功を手中にできたものもあれば、そこに至るにあとほんの一歩というものもある。そして、そこへ駆け上がるのに今からだというものもあって、さまざまだ。

しかし、僭越に僭越をかさねて申し上げるのだが、すべてのブロガー諸氏にどうか続けてくださいと、頭を低くしてお伝えしたい。

あなたが熱中し、夢中でキーボードを打って伝えようとしていること、それがたとえば歴史であれ、料理であれ、日記であれ、そして写真であれ、育児であれ、なんであったとしても、そこには、それを始めねばならなかった理由が必ずある。いまは気づかないかたもおられるかもしれない。しかし、それは来週かもしれず、来年かもしれず、あるいはわたしのように十年後かもしれないが、必ずあなたの前に立ち現れるはずだ。

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それにこのウエブ空間 (こんな表現であっているのだろうか) というやつ、エキサイティングだ。いきなり見知らぬ人たちと知遇を得、コメントを交し合う。子供のころには、こんなことは想像さえできなかった。われわれの精神は無限の拡張性を得た。とめどなく拡がる可能性が、地平線のむこうへと不可能を押しやった。いま、このことに疑義を唱えることだけが、唯一、不可能と呼ばれている。

すると、こんな声がとんできそうだ。

えっ、それに気づくの今ですか、と。

そうだ。

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万葉人形劇シアター建設宣言

旅ながらの日々に貼り付けている夫婦こけしの写真は、いつも自宅の庭で撮影していた。あまりにも手近なところで済ませていたわけだが、これがはたで思うほどお気楽ではない。

まず、雨の日は撮影できない。晴れた日の日中でも、こいつさっきからいったいなにをパシャパシャやってるんだ、などと近所の人に見られてやしないかと気になって、どうにも落ち着かない。同じ理由で、夜になどできるはずもない。

ああ、もっとたくさん、気楽に撮影することができればいいのに…。

そんな風に思い続けていたある日、わたしは パン!と膝を打ち、人差し指を立てた。そうだ、夫婦こけしのためにドールハウスを作ろう。そこでこけしたちに、思うさま劇を演じさせる。人形劇シアターだ。すばらしいアイデアだ。人形劇だ。

床面積は書斎机の八分の一程度。名称は格調高く「万葉人形劇シアター」でどうだ。大まかなイメージとしては、パルテノン神殿だ。堂々として、威厳高く、神聖さに満ちあふれている。

全体を赤く塗ろうか。それとも無塗装で木目を生かしたほうがいいだろうか。木造のパルテノンっていったいどうなんだ。天井からは、テレビ局のスタジオのようにたくさんの照明を吊り下げる。本格的だ。本格的な人形劇だ。

でも、本格的な人形劇ってどんなのなんだ。どんな旅を演じさせればいいんだ。海外旅行か。いや、それではまだ役不足だ。では…エベレストか。それとも深海か。海底二万里(ジュール・ヴェルヌ)なのか。そもそもエベレスト山頂への旅とか言うのか。それは旅ではなくて、もはや別ジャンルではないのか。

そんな様々なことを考えながらも、十日程前に、布二枚 (紺と薄茶) と細い棒一本を用意して以来、建設資材 (材料) の購入さえ進んでいない。何ひとつ進んでいないんだ。

こんなことで、ほんとうに完成するのか。

大丈夫なのか、パルテノン。

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